音楽だけでなく映画やファッションにまで多大な影響を与えた英国歌手デビッド・ボウイさん。
その活動は東西冷戦を象徴した「ベルリンの壁」崩壊にさえ及んだとされています。
AFP通信によると、ボウイさんはこれまでにレコードなど約1億4000万枚(推定)を売り上げました。
1970年代には「世界を売った男」(70年)や「ジギー・スターダスト」(72年)で独特の世界観を打ち出し、そのスタイルは中性的なファッションやルックスが特徴の「グラム・ロック」と呼ばれます。
ボウイさんは76年、麻薬などに依存していた米国での生活に別れを告げ、東西冷戦下の西ベルリンに移住、3年間暮らしたそうです。
西ベルリンではアルバム「英雄夢語り(ヒーローズ)」(77年)に代表される作品を制作しました。
「その特別な体制や緊張感、壁がもたらす影響など、ベルリンにいなければあの時の音楽は作れなかった」と後のインタビューでボウイさんは語ったそうです。
壁が崩壊する2年前の87年には、壁に近い現連邦議会議事堂前でコンサートを行った。壁越しで聴いていた多くの東独民衆を西側へ引き寄せながら、ヒーローズを歌ったそうです。
独外務省は11日、「さようなら。今やあなたはヒーローだ。壁崩壊を助けてくれてありがとう」とツイッターに投稿したということです。
デヴィッド・ボウイ:「音楽だけ覚えていてほしい」
1月10日にガンのため69歳で亡くなったデヴィッド・ボウイさんが、葬儀はせずに密かにニューヨークで火葬されたと Mirror Online が報じました。
ボウイさんは生前、愛する人たちに「騒がれずに逝きたい」「葬式はしないでほしい」と語っていたといい、その遺志をくんで葬儀は行わず、火葬にも家族・友人の誰も立ち会わなかったとのこと。
18か月にわたってガンと闘ってきたボウイさんは死後の計画を明確にしていて、それを家族にも話していたそうです。
ボウイさんは人々に、彼が作った音楽を共有した“いい時間”だけを覚えていてほしいと望んでいたということ。
関係者は「彼を覚えておくためのお葬式は必要ないのです。皆さんには彼の音楽があるのですから。騒がれることなく、大きなショーもなく、ファンファーレもなく、ただ消えたいというのが彼の望みでした。とても彼らしいと思います」とコメントしています。
ボウイさんが死の直前に発表したアルバム「★(ブラックスター)」は、文字通り彼からファンへのさよならのあいさつ。
プロデューサーのトニー・ビスコンティは自身のFacebookでその事実を認め、「彼の死も彼の生と変わりなく、アートの一部なんだ。彼はブラックスターをみんなのために作った。別れの贈り物として」とつづっているということです。
哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。
親日家の」デビッド・ボウイさんは京都にも2年ほど住んでいたそうですが、ベルリンにもすんでいたんですね!
http://ameblo.jp/liebeballack/entry-12116688503.html
ボウイさん、出生地では紙幣のデザインにも。
デヴィッド・ボウイさんの出生地、英ロンドン南部ブリクストンで流通しているボウイさんの肖像をあしらった地域通貨「ブリクストン・ポンド」