高須院長に悩み相談ができる公式Twitter【Yes!高須のこれはNo!だぜ】で、「高須クリニック」院長である高須克弥さんが、高齢者の認知症問題について語りました。
<死の恐怖をやわらげる神様からのプレゼント>
愛知県で認知症男性が徘徊(はいかい)中に電車にはねられ死亡した事故で、最高裁は先月、家族の賠償責任を問わないという判決を出したね。高齢化社会の日本でこうした事故や裁判が起きるのはしようがないけど、親がやったことに対して子供にどこまで責任を取らせるのかを判断するのは難しかっただろうね。
ボクが理事長を務める高須病院では、認知症の患者さんが病院を抜け出て事故が起きないように、エレベーターのボタンやドアノブに一工夫を施してあるんだ。火災などが発生した場合に備えて、円滑に避難できるようにもしなきゃいけないから悩ましいんだけど、大切なことだからね。
ほかにも認知症の回復リハビリテーションや、認知症状態で介護が必要な患者さんを対象に、共同生活を通して自立向上をサポートするグループホーム高須などがある。家族のように患者さんに接することを信条としながらやっているよ。
自分の家にいた方が病院に入院するよりも認知症の進行が遅くなるという意見もある。特にいいのは孫と一緒の時間を過ごすことだそうで、逆に、長年連れ添った家族に先立たれて息子や孫も遠くにいて独居老人状態だと、進行は早まってしまうらしい。
認知症の高齢者は、小さい子供と同じで何をするか分からなくて危なっかしい。だから幼児のように大事にしてあげるといいんだけど、現代の家族構成の中で多くを求めるのは負担が大きくて難しいのが現実だ。もう少し認知症の高齢者が過ごしやすい社会になるといいんだけどね。
今と違って昔は大家族の世帯が多かったから、一家の主が働いて、奥さんや子供たちが商売のサポートをしながら祖父・祖母の面倒も見ていた。今だったら認知症と診断される高齢者でも、家族という社会の中で自然に生きることができていたんだ。
ボク個人は、認知症は死への恐怖を和らげるために神様か仏様が与えてくださっているプレゼントのようなものだと思っている。認知症対策として脳をトレーニングするのは確かに大切だ。麻雀やゴルフみたいに趣味を持って、充実した人生を送るのもいい。でも、人は必ず死ぬんだ。これまで懸命に生きてきた人が、死の恐怖から少しでも解放されて旅立てるのなら、素晴らしいことだと思うよ。
ボクは死ぬのは怖くないけど、認知症になって死ねるのなら最高だ。ただ、「選挙に出馬する!」とか変なことを言い出さないかだけが心配だけどね。
認知症に対するこの解釈はよく耳にしますね!