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新皇后・雅子さま伝説3-2

<新皇后・雅子さま伝説> 

伝説というか雅子さまの学歴ロンダリングについて。

「ドス子の事件簿」より転載。‎

 



優秀とされる雅子さまの学歴検証(→学歴ロンダリング

●●雅子さま優秀伝説●● 
帰国子女だから古くさい皇室と合わない
→小1から高1まで日本で教育を受けており、義務教育期間に外国で過ごすという厳密な意味での帰国子女にはあたらず。
 紀子さまの方が、幼少期(1歳~6歳)に加え義務教育期間にも外国に住んでいた(小5~中1)ので本当の帰国子女。

1981~1985年6月:ハーバード大学経済学部(17~21歳)
→小和田父は1979年~1981年、ハーバード客員教授。教員子弟のコネ入学枠あり。
 
また一学部生の卒業論文に普通関わらないような財界人(糠澤和夫・真野輝彦・榊原英資)が卒論作成の手助けをしている。
 h
ttp://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070404115228.jpg

1986年4月~1987年3月中退:東大法学部(22~23歳)
→3年次編入のため、共通一次試験も通常の二次学科試験も受けていない。
 小和田恒は *東京大学の非常勤講師として25年間にわたり* 国際法、国際機構論を教える。(1963-1988年東大非常勤講師)
 ソース=h
ttp://www.nyulawglobal.org/events/dfls/DGFOwadaBio.htm 

1986年10月:外務公務員I種試験に合格(23歳)、87年4月入省(24歳)。
→東大は中退。2000年度まで行われていた外務公務員I種試験は、
 通常の国家公務員I種試験と異なり、強力なコネ枠と言われる。
 向上心旺盛なキャリア志向の女性が、なぜ父親が重役職にある企業の縁故採用試験を?

1988~1990年:オックスフォード大学に留学。(24~26歳)
→外務省からの国費(税金)留学。同期留学者のうち一人だけ、修士号を取れずに帰国。
 
週末ごとに洗濯物を抱えてパリに往復したという情報有り。
 小和田父は1988年~1990年:OECD(経済協力開発機構・事務局はパリ)日本政府常駐代表。

※本来、皇太子妃としての役割を果たして下さっていれば過去の経歴はどうでもいい。
当人及び擁護派が、役割を果たせない言い訳として華麗な過去を持ち出すので検証せざるを得ない。

雅子さまの英語力についての証言(→ヘイリー マサグリッシュ

●●雅子さま英語ご堪能メッキ剥落●●

『English Journal』2008年11月号(
ヘイリー さんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg
Hayley Westenraロングインタビューp48-49
A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら


But on the second knock, I was like“Oh”, you know,
“Thank you very much. Um, I'd better, better be going. I'd better let you go.”
And they're like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
           ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
And so, I thought, “OK, well, I'll, I'll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.
サインねだりの対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」
と言われ、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドア向こうの警備がパニックになってしまった、という話。

マスコミから外務省で美しく正確な英語を話す、と宣伝されてた雅子だが、
・人にものを頼むときに「May I・・・」や「Would you・・・」を使うという初歩の初歩ができない
・signは書類に署名する場合に使い、有名人のサインならautographを使う(これも超初級)を知らなかった
という、帰国子女ではありえない英語のレベルの低さが判明。


※雅子英語
マサグリッシュ が変だと分かる傍証「一足遅れのクリスマスカード 
 家族に“sincerely”は普通用いない。欧米通気取りだが、25日過ぎのクリスマスカードは欧米世界では有り得ない。





「東大卒業&ハーバード大卒業の超才媛」というイメージが売り物の雅子夫人であるが、実際には東大は学士入学→中退であり、ハーバードについては父・小和田恒のコネが大きく働いていたと考えられる。彼女は外務省入省後オックスフォード大院に国費留学しているが、国費留学組の中でただ一人修士号を取得することができず、父親のコネが働かない場所では結果を出せないという実証がされている。


このように実質が伴わないのにやたら高学歴イメージを作り出していることから、皇室御一行様スレッド住民奥様方の間では古くから「学歴ロンダリング」との表現がされている。
時折秋篠宮妃紀子殿下と比較して「雅子サマの方が才媛だ!」という雅子擁護派の主張が散見されるが、紀子殿下は学習院大学院にて心理学修士号を取得しており、経済学学士どまりの雅子夫人と比較しどこをどう客観的に判断しても、紀子妃殿下の方が学位は上である。

 

ハーバード大学の学部教育の問題として、マイノリティへの成績の付け方が他大学に比べ甘いこと、また実際の教育が教授でない教員(フェロー)によって行われている実態があることが指摘されている。


繰り返すが、ハーバード大学の成績の付け方は甘く、大手メディアも問題視しているほどである。それにも関わらず、彼女が獲得したのはMagna Cum Laudeであり、最高ランクのSumma Cum Laudeではない。また、ハーバード大学では、一般教養科目の成績も含めたLatin Honorとは別に、専攻科目毎に与えられるEnglish Honorがあるが(ハーバード大学公式ページ)、そちらの方は獲得できていない。ここまで有利な条件が揃っているにも関わらず、成績はこの程度なのである。

<東京大学法学部について>


①日本の一般学生より条件が有利な学士入学


学士入学試験とは当時の共通一次試験や現在のセンター試験を経る形式とは大きく異なり、外国語(英語)と小論文・面接のみでクリアできる代物である。在米生活が長い雅子にとって英語の比重が高い試験は一般日本人受験者よりかなり優位に働くのは疑いなく、併せてハーバード卒業(父コネ・卒論執筆も父コネ)肩書きが面接で大いに効力を発揮したのは想像に難くない。


②僅か1年の在籍後、即中退


「昭和62年 東京大学ご中退」と宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご略歴ページにも明確に記載されている。
昭和61年10月に外交官試験(当時はコネが物言う試験だった)合格後、NHK出演やFOCUS取材やまた皇太子を顔を合わせるパーティーに何度も出席しており、更に後期には運転免許取得のために自動車学校へ通ってもいた。
東大法学部に在籍していた1年間で学業に励んでいた様子はまるで窺えない。


<外交官試験について>


「外交官に対する、理由なきこの特別扱いは、まず採用試験にルーツがある。外交官以外はみな、大蔵省をはじめ全省庁のキャリア官僚がすべて、同じ上級職(現在の正式名はⅠ種)の国家公務員試験で選抜されている。


外交官は語学ができないといけないから?われわれ一般国民はこう騙されがちだが、実態はまるで違う。ノンキャリア組から本省のキャリア組幹部まで、『外交官試験の語学試験の内容とレベルは、専門的でもなければ高くもない』と口を揃える。英語を含めて1ヶ国語だけしか必要ないし、和訳と外国語訳があるだけ。


最近は大学受験ですら、『日本人は何年間も外国語教育を受けながら、喋れないし聞けない』という批判を気にして、ヒアリング試験ぐらいは取り入れている。しかし、外交官試験は相変わらずペーパーテストだけ。


したがって、『外交になど、とても使えはしないレベルの語学力の持ち主が、ぞろぞろ合格する』(外務省幹部)
 (中略)


あるノンキャリア外交官は、『語学の専門能力を持っている外交官は、ノンキャリア組の試験で選ばれるんです』と言った。これは、『外務省専門職員採用試験』というやつだ。文字通り、語学の専門能力を持っている人間を選ぶ。
このシステムは、『外交は実は半端な語学力などでやるものではなく、全人的な能力でやるもの。語学は、専門の通訳に任せておけばいい』ということを外務省が、当然ながら知っていることを物語る。『全人的な能力』が求められているのだから、キャリア外交官を特別な試験で選ぶ理由はない。理由の無いものが存在しているのは、日本人の外国コンプレックス、『海外だの国際だのという話は特別な人間にしか分からない』という思い込みがあるためだ。」


コネ優先なんて半端なものじゃない。事実上、身内が身内を選ぶ、身内しか選ばないシステム、それが外交官試験である。外交官試験ある限り、血族社会は揺るがないのだ。


<オックスフォード大学留学について>


オックスフォード大学ベリオール・カレッジに国費留学(一説には1,300万円かかったとも言われる)するものの、同期7人の中で雅子ただ一人だけが修士号を取得できずに帰国。


『週刊文春』2006年3月16日号によれば、当時のオックスフォード大学で担当教授だったルーカス・チュカリス教授が、彼女は「日本政府によるアメリカ製航空機の購入」というテーマで論文を書いていたが、外務省に呼び戻されたため断念せざるを得なかったのは残念だと証言している。


しかし、ならば提出できなかったことについて正当な理由があるのだから、オックスフォード大学当局及び外務省と話をつけて、後からの論文提出を認めてもらえば良かっただけの話である。どうもその辺の行動力が彼女には欠けている気がしてならない。


<修士論文を提出できなかった件>


小和田雅子が修士論文を提出できなかったのは付き纏うマスコミの所為とも言われたが、移動には宿舎からタクシーを呼べば済む話だし、校内にマスコミが入らないように大学当局と交渉することもできはたずである。


また、小和田雅子が病気をしたせいで満足に勉強ができなかった、とも言われるが、そうだとすれば、彼女は外務官僚として国費留学していながら、自身の健康管理を怠っていたため(他の6人の同期官僚について病気をしたとの証拠・証言は2008年現在に至るも挙がっておらず、現地環境が病気の主要な原因だとは考えられない)に、修士号を取得できず帰国したことになる。
いずれにしろ、社会人としては少々心構えが甘く、論文を執筆できなかった理由付けとしては苦しいものだと言わざるを得ない。


<外務省員留学コース>


彼女が留学したコースは、学者志望者向けのコースとは違い、企業や官庁の研修生向けのそれであり、現地の学生や少しやる気のある学生ならば1年で修了できるとも言われている。言葉の壁などで手こずってもせいぜい1年半。高校~大学が米国で、しかも大学の卒業論文を英語で書いてパスした人間が、1年半もいて修士論文を書けなかったというのはまず考えられない。


<実父・小和田恒氏の不明瞭な学歴について>


名桜大学・客員教授紹介欄では「【最終学歴】英国ケンブリッジ大学大学院修了」、名誉博士号をあげちゃった早稲田大学でも「小和田恒氏は1932年9月18日に新潟県新発田市に生まれた。1955年に東京大学を卒業すると同時に外務省に入省し、その後、ケンブリッジ大学大学院を修了した。」と記載。


しかし、国際司法裁判所の小和田恒Biographyでは「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学学士)である。ケンブリッジのLL.M.(法学修士)コースに在籍はしていたが修士論文を提出できなかったことについて、恒本人が「船便で博士論文を盗まれてしまった」と主張しているインタビューが発掘されたことについて保管庫02に書き込みまとめがあるので是非参照されたい。


実父についても修士号を取得しているかどうか定かでなく、いつの間にやら早稲田の名誉博士号をゲトしているところは、まさに父娘揃っての学歴ロンダリングと表現できるだろう。




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