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新天皇・徳仁伝説1

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<新天皇・徳仁伝説> 

伝説というか事件簿です。

ドス子の事件簿より転載。‎

 

■第1期-初等科入学前-■

  • 4歳誕生日を前に母美智子さまが「(浩宮は)食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです」と語る事件
『美智子さまの気品―陛下とお子さま、そしてお孫さまと歩まれた50年』江森敬治、主婦と生活社(2008年) より
 皇太子さまの四歳の誕生日を前に皇后美智子さまは、
「この四年間、強く感じたことですが、第三者が真剣に働いている姿を見る機会に恵まれていません。たとえば、食事などでも魔法みたいに自然にテーブルに出てくるものだと思いがちのようです。それで、まだ小さい時に、手を引いて大膳で料理を作っているところをわざわざ見せに行ったこともあります」と、述べられている。
  • 3歳誕生日パーティーで「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」と歌った後、レコードのノイズ音「プツン、プツン」を口再生する事件
  • 交通博物館見学でパトカー模型を目にして「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」事件
『明星増刊』1964年5月緊急号<かわいいおもちょいナルちゃん言葉> 、p141より
 昭和38年2月23日、ナルちゃんは満3歳のお誕生日を迎えられました。(中略)美智子さまがお作りになったバースデー・ケーキの3本のロウソクを勢いよく吹き消されたナルちゃんは『おサルのかごや』を歌い始めました。「オサルノ カゴヤダ ホイサッサ」ご一同が拍手しようと手をおかまえになったとき、とつぜん「プツン、プツン」と声を出されて、ご一同びっくり。
「ナルちゃん、いまの“プツンプツン”ってなーに」正田恵美子さんがおたずねすると、
「レコードがそういったよ」とケロリとされていました。“プツン”“プツン”という音がしたのです。
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 ことしの2月26日、鷹司平通氏がおつとめになっている交通博物館にいらしったナルちゃんは、ミニカーがずらりと並んでいる前にじーっと立っておられましたがとつぜん、
「アッ、警視庁ダ。警視庁モッテルヨ。ボク警視庁モッテルヨッ」とパトカーを指さして大喜びでした。
参考ようつべ:4歳浩宮のおしゃべり「19931231皇太子妃誕生物語5 」 2:20~
  • 子供が茶碗を叩いて面白がって遊ぶのはよくあることだが、徳仁の場合はお母さまに二度三度言われても、お父さまにお尻を叩かれても止めず、ついには罰として外に出されるまで茶碗叩きを止めない、異様過ぎる茶碗叩き遊び熱中事件
『浩宮さま』浜尾実著、p52~より抜粋
 浩宮さまは、両陛下からはもちろんのこと、私からもよく叱られたものであった。
 お食事のことで両陛下が厳しかったために、お叱りをうけるのはお食事の前後が多かったようである。一般にスプーンを使って自分で食べられるようになった子供は茶碗を叩いて面白がることがある。浩宮さまもそういう時期があった。
 「イケマセン」と皇后さまがやさしく言われるのだが一度でお止めになるときとそうでないときがある。
 二度三度言われてもおききにならないときは、陛下のご出馬となる。陛下はしばしば浩宮さまのお尻を叩かれた。あるときはその茶碗叩きをお止めにならないという理由で庭にだされたこともあった。
≪Part1592-703発掘奥様によるご紹介≫
  • 1964年3月に皇太子殿下(当時)と美智子さま・浩宮(4)が千葉県房総半島旅行、吉田屋旅館で初めてスリッパを出されどうしてよいのかわからず固まってしまう、ごゆっくり風味事件
    ソース:2007/11/07秋の皇室番組SPでの「皇太子ご一家房総旅行でのスリッパ履き替えエピソード
  • 1964年10月浩宮(4)はじめての学習院幼稚園運動会、「カゼをひかれたあと」との理由で何故か一人だけござの上で寝転がる姿を披露事件
    ソース:『週刊平凡』サヨナラ1964写真集あの日あの時12月10日増刊号<ボクは赤組 秋の運動会>グラビア
  • 5歳のみぎり(昭和40年10月上旬頃)、当時の皇太子ご一家が軽井沢静養で作家・川端康成氏の山荘を訪れ、その際浩宮は挨拶もなしにビスケットを6つ7つ立て続けに食い、そのまま「おさきに」とだけ言って去り、川端氏に「かういふ習はしがおありなのだらうか」( ゚д゚)ポカーソとせしめる事件
    ソース:東京新聞昭和41年1月4日初出、『川端康成全集』 に「美智子妃殿下」というタイトルで収録
  • 幼少時の家族ハイキング時、皇太子殿下(=今上陛下)は常にリュックの中に分厚い植物図鑑をお持ちになり興味のある植物を見つけては立ち止まって調べられるのに、一方浩宮はマイペースでどんどん歩きたいと陛下と一緒に立ち止まらなくてはならないのが面白くなく、ある時お二方は険悪な雰囲気に…それを美智子様がとりなした事件
『岳人』1997年6月号へのナルちゃん寄稿文より、参考ナレーション入りようつべ映像
五歳のとき、父に連れられて初めて、離山(はなれやま)へ登って以来、軽井沢近辺の山々を歩くのが好きになった。父は山登りの途中、たとえ花のない植物であっても、興味を抱いて足を止めおもむろにリュックサックから分厚い原色日本植物図鑑を取り出す。そのたびに、頂上に早く着きたいという私の望みは絶たれるのであった。母の回想によれば、父のたびたびの停車に業を煮やしたのか、山頂に到着したとき父と私との間には一種険悪なムードが漂っていたそうである。
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『岳人』2005年10月号 東京新聞編集局長水野和伸<山での皇太子さま 担当記者同行記>記事 p18より
足慣らしという奥多摩の棒ノ折山では、(徳仁)殿下一行のペースの速さにギブアップする記者が続出した。
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※今上陛下(当時皇太子殿下)によるゆったりハイキング理由については、重い荷物・機材を運んでいる随行員とマスコミ記者を気遣ってのことと言われている。大人になったナルちゃんがこの配慮を理解できたかについては、後掲「だらしないですね」事件からして、かなり疑わしいと言わざるを得ない。

■第2期-初等科時代-■

  • 小学校低学年時代、当時の東宮侍医であった緒方安雄氏のポケットに勝手に手を突っ込んで飴を奪い取る、ほとんどサル並みの振る舞いをしていた事件
元東宮侍医医学博士・緒方安雄著『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』サンケイドラマブックス26(サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行) 、p174より
 それはいつごろであったろうか?
たぶん浩宮さまが小学初年級ごろであったと思う。
 私は煙草を吸わないのでそのかわりにドロップを数個いつもポケットにいれていて、ときどきなめることにしていた。
ある日のこと、私の上衣のポケットがふくれているのに気づかれたのか、突然ポケットに手を入れて、そこにはいっているドロップをつまみ出された。
「これアメ? 食べてもいい?」
 とお聞きになる。私は躊躇した。妃殿下が正しく行っていらっしゃる宮さまの食生活を破る恐れがあるからだ。
 しかし、ついには負けて、どうぞということになり、宮さまは嬉しそうに、そしておいしそうになめていらっしゃる。
  • 幼少時、遊び相手だった養育係浜尾実東宮侍従の息子さんと一緒に、東宮御所で飼っていた熱帯魚を解剖してそれをそのまま放置し遊びに出かけ、父上である明仁皇太子殿下に片付けをしなかったことをこっぴどく叱られる事件
浜尾実著『ほめ方上手の親学―頭のいい子になる急所しつけ法』青春出版社プレイブックス新書(1984年)
 東宮御所である日、小さな事件がありました。
 私(=浜尾実氏)の息子は宮さまと年齢が近かったこともあって、お遊び相手としてときどき御所にうかがっていたのですが、宮さまのお部屋にある水槽から熱帯魚をとり出し、二人で解剖してしまったのです。いくつか年上の私の息子のほうが率先してやったに違いないのですが、その解剖した魚の残骸をそのままにしておいたのが殿下に見つかってしまったからたいへんです。
 そのとき宮さまは殿下から大目玉をいただいたのですが、殿下のお叱りは魚を解剖したからということでなく、魚の残骸の後片付けをしないでお庭に遊びに出かけてしまったということだったのです。
 俗にいわれる「ナルちゃん憲法」の一つに「”ながら病”はできるだけ避けること。靴を履くときなども『靴を履いたらおんもネ』といいながら靴を履くことだけに集中させること」という項目があります。
 宮さまはこのとき、涙で顔をクシャクシャにさせながら、ぞうきんで床をふいておられました。
≪Part1565-504・523発掘奥様によるご紹介≫
『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26 (サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)、p44より
 若宮さま方は、六歳頃までに、かなり厳しいしつけをお受けになる。お父さま殿下に、暗いお部屋に入れられたり、夜のお外に出されたことも、おありになる。しかし、お叱りになる一方、十分おかわいがりになる。この二つはしつけに欠くことのできぬ両輪である。
(中略)
 両宮さまの叱られぶりも、それぞれ面白い。
浩宮さまは、放り出された夜のお庭の素晴らしさを、夢中になって、お母さまにご報告になった。
  • 叱られた徳仁が罰として廊下に立たされ晒されている状態が嫌になり、無邪気に一緒にいた弟礼宮を巻き込み歌を歌ってごまかす事件
『妃殿下と若宮さま 東宮御所で過した日々』元東宮侍医医学博士・緒方安雄 サンケイドラマブックス26 (サンケイ新聞社出版局、昭和48年=1973年3月15日1刷発行)、p45-46より
浜尾侍従は、この浩宮さまのお仕置きの別の光景を、次のように話している。
 浩宮さまが罰として立たされた廊下は、侍従やその他の職員が通るところで、罰せられるつらさよりも、これらの人に見られることのほうがつらかったようだ。
 そのうちに礼宮さまが、
「お兄ちゃま、なにしているの? ボクもいっしょにいてあげるよ」
 というふうに並んでお立ちになった。が、ていさいの悪いことには変わりがない。そこで、浩宮さまは、一計を思いつかれた。それは歌を歌うことであった。歌っていれば罰で立たされているとは誰も思わないであろうというわけか。
ともあれ浩宮さまは、大きな声で歌いはじめた。礼宮さまは、とつぜん歌いはじめたお兄ちゃまの口もとをポカンと見ておられたが、ご自分は何をなすべきかを、すぐに了解され決意したようで、ご自分もたどたどしく歌いはじめになった。まさに二重唱というべきである。
 このご様子をご覧になった妃殿下は、
「もう叱られたことを忘れてしまったでしょうね」
 と、思わずほほえまれ、やがて、ご自分も楽しそうに合唱に加わられた。
 内舎人があまりやかましく、お叱りしたとき、浩宮さまは私のいた第二内廷の部屋へはいっていらして、
「ああ、ボクは内舎人になりたいよ。叱ってばかりいればいいんだもの」と、心からではなく、なかばからかう気持ちで嘆いていらしたことがあった。そのときお兄さまといっしょだった礼宮さまも、
「そうだ、そうだ」と、協同作戦をとっていらした。
  • 学習院初等科入学した頃の授業参観にて、教科書を読むだけのことにも四苦八苦、母上美智子さまの顔色を変えさせる事件
『週刊朝日』1980年10月24日号、p37より やんごとなき方々の御日常
 浩宮様が学習院初等科へ入学されたころの話。
たまたま美智子妃も参加された授業参観の日、なんのはずみか宮様に順番が当たり、教科書を読まれるはめになった。しかし、なかなかすんなりと読めず、四苦八苦される彼を見て、だんだん美智子妃の顔色が変っていった。
 とどめは先生の、
「お家でもう少し勉強してきなさい」
の一言であった。美智子妃は、がっくりと首うなだれ、すごすごと帰途につかれたのである。
浩宮様と浜尾実さん ttp://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw
&youtube(http://jp.youtube.com/watch?v=SIl3AIvPELw )
1972年4月15日放送「ぼくら一年生」引用映像あり、5分15秒あたりから
女性司会:昭和45年大阪で開かれた万博。
浜尾実 :いろいろなところをお供しておりますとね、帰ってから、浜尾さんああいうものがあったね、あれはよかったねとか、面白かったねと、いろいろおっしゃってくださるんですけども、実は私は見てるようなふりをして全然見てない(笑)宮さまのことが心配で、怪我をなさらないだろうか、転ばれないだろうか、少し寒くて風邪ひかれないだろうかとかいうことばかり気にしておりますのでね。ほとんど憶えてないんです。
女性司会:大変ですねえ。
浜尾実 :(笑)
女性司会:本当あの、浩宮さまは本当に子供らしいというか、嬉しそうですね。なんかこれあの待望の(浩宮がボートアトラクションに乗っている映像について)、2回お乗りになられたんでしょ。
浜尾実 :一度というお約束だったんだけども、「浜尾さんもう1回いいでしょ」とおっしゃって2回お乗りになったんですね。
女性司会:それであんな嬉しそうな。
浜尾実 :これは番外なんです(笑)
  • 大阪万博見学で、偶々一緒になった小学生の女の子に執着し、当人はその場から去ってしまったのに「あの子がいないといやだ」と探し回らせ周囲を困らせる事件
ニュース速報+板より【皇室】 眞子さまと佳子さま、卒業式★2
802 名無しさん@十周年 sage 2010/03/22(月) 22:12:30 ID:gdgyskiR0
>>784
うちの叔母は大阪万博の時に浩宮様と一緒に自動車に乗るイベントで選ばれたんだ
でも派手がましくて拒んだら、浩宮様が絶対この子でないと嫌だっておっしゃられて、
場内放送で探されて強制的に乗せられたんだよ
その話し聞かされてそこまで執着するって意外だと思った。
  • 大阪万博にて取材カメラの前で「シェー」 をしてみせる事件
  • 一家で浜名湖静養の折り、養殖ウナギを見学した浩宮は自分では手を出さず、浜尾実東宮侍従に「つかんでみたら」と言う、自分が嫌なことを他人である大人に命じてやらせようとする臆病ぶり事件
『週刊現代』2009/1/24号<再生&激変'09年の論点/雅子妃には「離婚」という選択肢もありうる>当時浜名湖同行取材していた渡辺みどり記事より引用
 皇太子と秋篠宮の性格の違いを物語るエピソードで思い出されるのが昭和40年代にご家族で浜名湖に行かれたときのことです。養殖されているウナギの桶を覗きこんでいた浩宮は、自分では手を出さず、東宮侍従の浜尾実さんに「つかんでみたら」とおっしゃった。一方の礼宮は桶にひょいと手を入れ、ウナギをつかんで振り回したんです。いま皇室のなかで、秋篠宮の存在感がだんだんと大きくなっているように感じられますが、あのときのお二人の様子は、鮮明な記憶として残っています。
  • 学習院短大OG奥様書き込み“「ナルイニさんは授業中に前席の男の子のうなじを舐めたらしい。」という噂を聞いたこともありました。”&color(#004a95,#99FF00){2ch書き込み}

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 





 

 

 




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