ハイヒール・リンゴが、自身が長年不妊治療をしてきた経験を告白。そのうえで、不妊に悩む人たちにエールを送ったそうです。
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私が不妊治療をやめたのは50歳のときです。当時は薬を見て、どんな治療してるかわかるほどでした。注射も自分で打ち、腕の血管も採血しすぎて硬くなったほど。体外受精も二十数回しました。
お金の問題とか、家族に問題が出たりとかで、途中であきらめざるを得ない人もいる。私の場合、夫とは一回り年齢が違うし、年齢的に成人するのを見守れないかもしれない。それは自分のエゴだなと、子どもの立場になって考えなくてはと。不妊治療で子どもを授かっても、それで終わりじゃない。そこから育てていかなければいけないですから。
不妊治療を経て出産した友だちが半泣きで言っていたんですが、「私が欲しかった子どもはこんなんじゃない」って。もちろん子どもがいてうれしい。だけど生まれるまで、もっといっぱい夢を描いていたわけですよ。こんな服着せて、あんなことして…と。でも実際は歳をとると、育てるのが大変。若いときと違い体力がないからしんどいみたいですね。そのうえ夫は子育てに非協力的で「お前が欲しい言うてたやないか」とケンカになる。そんな現実を聞いて、私も50歳でそれをするのは、さすがにしんどいなと思いました。
家族の形態を考えると、子どもがいるのが多数派じゃないですか。でも子どもができなかったからこそわかったこともある。我が家の夫婦関係でいえば、会話も多くなったし、さらに仲よくなった。仕事も集中できる。
負け惜しみだと思う方もおられると思いますが、できなかったからこそ頑張れることもある。だから不妊治療してもできなかった人、いま現在治療している人も、決して引け目を感じる事なく、胸を張ってほしいですね。少なくとも私はそうあろうと思います。
母の日にもエールを送っていました。
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今日は母の日です。私は不妊治療を35歳から15年間やって、仕事も休ませてもらった時期もあります。主治医の先生は実績も信頼もある方で、本当にありとあらゆる事を試しました。変な表現ですがやり切った感はありますね。治療中、母の言葉に傷ついたこともありました。しかし救われたのも、やはり母の言葉でした。
母は私が鉄の心臓を持ってると思ってるのか「年取ったら、子なしは寂しいで」とか、大直球で言ってきてました。もう少し思いやりあったら…私でも心折れそうになったくらいです。私には姉と妹がいますが、2人には子供がいる。母にしてみれば、私にだけいないのは寂しいやろという親心。でも当時はその親心を受け止められない。「なんで言うねん。私だって頑張ってるわ!」と反発してました。
でもそんな母は3人の娘を産み育てたけど、誰も一緒に住んでない。だから「誰もそばにいてあげられなくてごめんね」って謝ったことがあるんです。すると母は「あなたたちを育てているときは、ものすごく楽しかったのよ。幸せいっぱいもらったのよ」って。それを聞いて「ああ、そういうことなんだ」と。その“幸せ”を私にも味わってほしいという思いが直球で来たんだなって。当時は腹が立ったけど、今では親の愛情だったと理解し、感謝しています。
50歳で治療を止めるとき、心を軽くしてくれたのも母親の言葉でした。「人間、生まれるときは2人だけど、死ぬときは1人だからね」って。子どもが生まれるときはお母さんの命と一緒だから2人、でも最期は1人で死んでいく。それは子供がいてもいなくても同じだよって。その言葉が、私の心にスーッと入ってきました。母というのは、いくつになっても特別な存在ですね。
なるほどですね。。。