<韓国の慰安婦像が進化 日本軍に引きずられて行く少女像が完成>
全南谷城に1千500人余りの市民の誠意を集めて「平和の少女像」が建設されたそうです。
谷城平和の少女像建設郡民推進委員会が7日午後、全南谷城郡谷城レジャー文化センターで開催した除幕式には強制徴用被害者のオ・ギョンソブ氏をはじめとする各界各層の推進委員らが参加しました。
谷城平和の少女像は1千500人余りの市民と200余りの民間・市民・社会団体の誠意を集めて寄付目標額4千500万ウォンをふわりと越える6千500万ウォンを集めて建ったそうです。
推進委は慰安婦被害者だけでなく強制徴用・強制労働の被害にあわれた年配の方々の痛みを記憶し、人権が尊重され平和が実現されることを願う住民たちの気持ちを込めて、日帝強制占領期間当時、日本軍に引きずられて行った少女の姿を形象化して少女像を製作したということです。
日韓合意とはいったい何だったのでしょうか。
ソウルの売春婦像を撤去するどころか、どんどん増えているではないですか!
<上海の大学に少女像 慰安婦問題の象徴、中国に初設置>
上海師範大学のキャンパス内に22日、慰安婦問題を象徴する少女2人の像が設置されたそうです。
同大関係者によると、中国と韓国の芸術家が協力して制作、寄贈したものということ。
同様の少女像はソウルにもありますが、この関係者によると中国でこうした中韓少女像の設置は初めてということ。
少女像はそれぞれ中国、韓国の民族衣装を着て、椅子に座った様子をかたどっています。
昨年秋にソウルに設置された中韓少女像と同じ芸術家らが企画。
関係者はさらに制作を進める意向を示しているそうです。
同大学は1999年に慰安婦問題を研究する専門の機関を設置し、調査を続けています。
この日は数百点の関係資料を集めたという中国「慰安婦」歴史博物館の開設式も大学内で開かれ、中韓の元慰安婦だったという計2人が出席したということです。
<仁川の旧日本軍駐留地に、拳を固めた「平和の少女像」建立>
日帝強制占領(日本の植民地支配)期間に旧日本軍が駐留していた仁川市の冨平公園に「拳を固く握り、堂々と顔を上げて前に進もうとする力強い」平和の少女像が立てられたそうです。
200以上の市民・社会団体が集まった「仁川平和の少女像建立推進委員会」は29日午後3時、仁川市富平区の冨平公園で少女像除幕式を開きました。
共に民主党のソン・ヨンギル議員、ホン・ミヨン富平区庁長、宗教界など各界の市民約400人が参加した中で除幕式を行ったそうです。
除幕式では体験行事などの事前行事を始め、少女像の除幕と平和コンサートも行われたということ。
仁川平和の少女像は6月に発足した少女像建立推進委員会が街頭募金で集めた9千万ウォン(約825万円)で製作。
募金には宗教界の他、仁川世元・桂陽・桃林高校の歴史・人文学サークル、石南中学校生徒自治会所属の生徒たちが自発的に参加するなど902人が参加したそうです。
推進委員会は仁川総合文化芸術会館に銅像を立てようとしたそうですが、市民アンケートや仁川市との協議を経て冨平公園を建設場所に決めました。
今回建立された仁川平和の少女像は身長153センチで、髪は短い。
脚を肩幅に広げ、拳を固く握り遠くを見つめしっかりと前に進もうとする姿です。
銅像を製作したキム・チャンギ氏は主体的な姿の少女を表現するため、拳を握り堂々と顔を上げた姿勢の少女像をデザインしたそうです。
少女像のそばには募金に参加した団体や市民の名前が彫られた青銅板も設置されました。
2011年にソウル鍾路区の日本大使館前に平和の少女像が立てられた後、現在韓国には40を超える少女像が建立されていますが、仁川ではこれが初めて。
仁川平和の少女像が建設された富平市民公園は、米軍のキャンプマーケットがあった所で、日帝強制占領期間には旧日本軍が駐留していた所。
朝鮮半島に外国軍がこれ以上駐留しないことを願いつつこちらに建設したそうです。
推進委員会のキム・マルスク執行委員長は「2015年12月28日、被害当事者であるハルモニ(おばあさん)の意見を無視した一方的な韓日外相「合意」発表を黙って見ていられない市民が街頭に出て、戦争の痛みと日本軍「慰安婦」問題を記憶し平和を祈る気持ちを込めて市民の募金で『仁川平和の少女像』を建設した」と明らかにしたということです。