熊本地震で大きな被害を受けた熊本城で、崩れた石垣の石から戦国時代に彫られたとみられる「観音菩薩」が見つかったそうです。
4月16日の本震では北大手櫓門跡の石垣が崩れ、城内にある加藤神社の境内に石が散乱しました。
湯田崇弘宮司によると23日、このうちの一つの石の側面に観音菩薩が彫られているのを確認したという。
観音菩薩は40センチほどで、蓮華座に立ち、左手には蓮のつぼみのようなものを持っています。
後光も描かれており、湯田宮司は「震災でみなさんの気持ちが沈んでいる中、本当の光のように感じました」と話します。
今月11日、神社のフェイスブックに載せたところ、14日昼までに、7万5千人に読まれたという。
市熊本城調査研究センターの美濃口雅朗主幹によると、描かれている面がきれいに研磨されていることなどから、元々は「板碑」と呼ばれる仏像を彫って供養する石碑で、築城の際に石垣に転用されたと推察されるという。
15~16世紀に彫られたものと考えられ、美濃口さんは「築城以前の人々の暮らしや、築城時の様子が垣間見える貴重な資料だ」と話しているということです。
この時期に見つかったということは、きっと何か意味があるのだと思います
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今にも崩れ落ちそうなわずかな石――。
熊本県などを襲った一連の地震で大きな被害を受けた熊本城に、かろうじて櫓を支えている石垣があるそうです。
二度の大きな揺れに耐えた「一本石垣」は、まるで被災者を励ますかのように踏ん張っています。
天守閣の南西隅に立つ「飯田丸五階櫓」。
市熊本城総合事務所によると、14日の「前震」で石垣の一部が崩れ、16日未明の「本震」後、南東側の角を細い石垣で支える状態になったという。
22日に文化庁が現地調査をした際、同行した同事務所の職員が櫓と石垣の様子を撮影しました。
石垣は高さ約17・7メートル。
慶長時代(1596~1615年)に造られ、補修が繰り返されてきました。
直方体を交互にかませながら築いていく「算木積み」という手法は、加藤清正が築城した当時の技術という。
櫓は延べ床面積約500平方メートル、高さ14メートルで、2005年に復元されたということです。