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安倍晋三元首相の国葬、最後の感謝

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19発の弔砲が余韻を残す中、午後2時から安倍晋三元首相の国葬が始まったそうです。

雪化粧した日本の山々を生花で表現した式壇の上に、柔らかな笑みをたたえた遺影。厳かに葬送曲が流れる中、昭恵夫人に抱かれて到着した遺骨は、議員バッジなどとともに中央に置かれました。

参列者が1分間の黙とうをささげた後、政治家としての歩みをまとめた映像が流されたそうです。冒頭は東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」を弾く姿。ピアノの音色に合わせ、アベノミクスの宣言や「マリオ」に扮(ふん)したリオ五輪閉会式などが映し出され、会場は大きな拍手に包まれたといいます。

友人代表として追悼の辞を述べたのは安倍政権で長く官房長官を務めた菅義偉前首相。「総理、安倍総理」。とつとつとした口調で呼び掛けながら、首相官邸で苦楽を共にした日々を振り返ったそうです。「あなたはいつも笑顔を絶やさなかった」と声を詰まらせると、昭恵さんは涙を浮かべ、目頭を押さえる参列者も多く見られたといいます。

天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻の使者が式壇に拝礼。続いて秋篠宮ご夫妻ら皇族方も菊の花を供えられたそうです。その後は参列者が順番に献花し、昭恵さんはじっと遺影を見詰めた後、深々と頭を下げました。

参列者の献花が長引き、国葬が終わったのは予定より約1時間遅い午後6時15分すぎ。「花は咲く」が再び奏でられ、敬礼する自衛隊員らに見送られながら、遺骨を抱えた昭恵さんは会場を後にしたといいます。

安倍政権で内閣官房参与を務めた加藤康子さんは参列後、「当時、生き生きと仕事ができた。(安倍氏は)優しさと揺るぎない信念を持って国に尽くした」としのんだそうです。「会場で(遺影の)顔を見たら涙が出てきた。ただただ、ありがとうと伝えた」と語ったということです。


 

 

心から哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。

 

 

安倍元総理大臣の「国葬」が27日午後2時すぎから東京の日本武道館で行われ、午後6時すぎに終わりました。

時系列でお伝えします。

 

 

6:30ごろ 霞が関の省庁が入る国の合同庁舎で半旗掲揚 
午前6時半ごろ、厚生労働省などが入る合同庁舎では、庁舎前のポールに半旗が掲揚されました。
厚生労働省によりますと、半旗掲揚は安倍元総理大臣への弔意を示すもので、庁内では「国葬」に合わせて黙とうを行うということです。

 

7:00ごろ 九段坂公園周辺は 
国葬の会場となる日本武道館の北側の九段坂公園に設置された白いテントの中に一般の人たちに向けた献花台が左右に2か所設置されています。
献花は午前10時から始まりますが、周囲にはすでに花束を手にした人たちの姿も時折見られます。
50代の男性は「午前中会社を休んで献花にきました。静かに見送りたいと思います」と話していました。

 

7:00 国会議事堂 衆参両院で半旗掲げられる 
国会議事堂では、午前7時から衆参両院で半旗が掲げられています。

 

9:30ごろ 献花 予定の午前10時を前倒しで開始 
日本武道館に程近い九段坂公園には、一般向けの献花台が2台設けられました。
献花は当初、午前10時からを予定していましたが、時間前から多くの人が集まったことなどを受けて、前倒しして午前9時半ごろから始まりました。
開始とともに訪れた人たちは献花台の前に列を作り、自分の番がくると、安倍氏の遺影の前に持参した花を手向け、静かに手を合わせていました。
献花台は午後4時まで設置されていて、政府は花は各自で準備し、献花台には花だけをささげてほしいとしています。

 

奈良市の銃撃事件現場に喪服を着た人や花を持った人 
奈良市の銃撃事件の現場には喪服を着た人や花を持った人などが次々と訪れ、安倍元総理大臣が倒れた場所に向かって静かに手を合わせていました。
訪れた18歳の男性は「静かに手を合わせて見送りたいと思って来ました。国葬に対していろいろな意見があるのは知っていますが、安倍元総理大臣にはただ『ありがとうございました』と伝えたい」と話していました。
70代の女性は「『国葬』が行われる東京に行くことができないのでここに来ました。亡くなったのは残念で、日本や世界の平和が続くよう見守ってもらいたい」と話していました。
現場に献花台などは設けられておらず、道路などを管理する奈良市は、花やお供えは持ち帰るよう呼びかけています。
一方、周辺では午前中から警察官や民間の警備員などが警戒にあたっています。

 

岸田首相 26日に続き「弔問外交」行う 
岸田総理大臣は、26日に続いて東京 港区の迎賓館で「弔問外交」を行い、各国の首脳らと個別に会談しました。
このうち、オーストラリアのアルバニージー首相との会談では、安倍元総理大臣の「国葬」への参列に謝意を伝えたうえで、「安倍氏の遺志を継ぎ、『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向けて連携をより一層深化させていきたい」と述べました。
これに対しアルバニージー首相は「日米豪印4か国の枠組みクアッドの対話も安倍氏のリーダーシップなくして開始できなかった。『自由で開かれたインド太平洋』はとても重要なので連携して前進させたい」と応じました。
このあと、2018年に山梨県の安倍氏の別荘に招かれるなど、親交が深かったことで知られるインドのモディ首相とも会談しました。
岸田総理大臣が「モディ首相と安倍氏の外交的な業績をさらに発展させ、引き続き緊密に連携したい」と述べたのに対し、モディ首相は「安倍氏のことは忘れられない。岸田総理の指導のもとで、日印関係がより高い次元になると思っている」と述べました。
「国葬」が終わったあと、岸田総理大臣は迎賓館に戻って、直接、海外の参列者から弔問を受ける予定です。

 

松野官房長官「厳粛かつ心のこもった式典に」
松野官房長官は記者会見で「政府としては準備に遺漏なきを期してきたところであり、安心して参列いただけるよう万全を期している。『国葬儀』が国内外からの多くの方の弔意に応える厳粛かつ心のこもった式典となるよう全力を尽くしたい」と述べました。
また記者団から「『国葬』への賛否が分かれたままだが、政府の説明は十分だったと思うか」と問われたのに対し「さまざまな意見があることは承知している。引き続き国民の理解が得られるようしっかり説明を尽くしていきたい」と述べました。
そして「国葬」の終了後、今回の対応に関する検証の進め方を検討するとともにできるだけ早く支出された経費を公表する考えを示しました。

 

13:26 安倍元首相の遺骨をのせた車 自宅を出発 
午後1時26分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が、東京 渋谷区の自宅を出発しました。
遺骨は、後部座席の昭恵夫人に抱えられています。
自宅前には、自衛隊の儀じょう隊が整列し、出発を見送りました。
車は、安倍氏が力を入れて取り組んできた安全保障政策を担当する防衛省に立ち寄ったあと、「国葬」の会場となる千代田区の日本武道館に向かいます。

 

13:44 安倍元首相の遺骨をのせた車 迎賓館前を通過
午後1時44分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が、安倍氏と各国首脳との会談の舞台になった港区 元赤坂の迎賓館の前を通過しました。
車は、このあと、安倍氏が力を入れて取り組んできた安全保障政策を担当する防衛省に向かいます。
 

13:46 遺骨をのせた車 防衛省に入る 
午後1時46分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が防衛省に入りました。
防衛省では、幹部職員や自衛隊員らが並んで見送りました。
防衛省は、第1次安倍政権の2007年、それまでの防衛庁から「省」に格上げされて発足しました。
また、第2次安倍政権では安全保障関連法の制定などに取り組みました。

 

13:55 遺骨をのせた車 日本武道館に到着 
午後1時55分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が「国葬」の会場となる千代田区北の丸公園の日本武道館に到着しました。
遺骨をのせた車が到着したのに合わせて、弔意をあらわす空砲、「弔砲」が撃たれました。「弔砲」は合わせて19発撃たれます。
このあと遺骨は式壇に安置され、会場の準備が整いしだい、葬儀副委員長を務める松野官房長官が開式の辞を述べて、安倍氏の「国葬」が始まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14:00すぎ 大阪 道頓堀に設置の大型ビジョンで中継映像 
大阪 ミナミの道頓堀に設置された大型ビジョンでは、午後2時すぎにテレビで放送された安倍元総理大臣の「国葬」の中継映像が映し出されました。
通りがかった買い物客や観光客などが足を止め、黙とうに合わせて目を閉じたり、スマートフォンをかざして撮影したりする姿が見られました。
途中、涙を見せていた和歌山県の30代の女性は「旅行中で通りかかりましたが『国葬』を見ていて悲しい気持ちになりました。あんな形で亡くなったことを思い出し胸が苦しくなります」と話していました。
大阪 河内長野市から訪れた60代の男性は「テロはやはり許してはいけないという思いで見ていました。日本の国のためによくやってくれた方だと思います」と話していました。

 

14:00 東京 足立区ではビジョンに足止める人 ほとんど見られず 
東京 足立区の北千住駅近くにあるビルの壁面に設置された大型ビジョンでは27日午後2時から「国葬」が中継されました。
駅前には買い物客や親子連れなど多くの人が訪れていましたが、大型ビジョンの前に足を止めて画面を見る人の姿はほとんどなく、待ち合わせで居合わせた人などが時折、画面を見上げる様子が見られました。
買い物に来たという地元の75歳の女性は「安倍さんは対外的にも評価されるだけのことをしてきたと思う。亡くなったのは残念で、きょうの『国葬』が滞りなく進むことを願っています」と話していました。
一方、大型ビジョンの近くでは、「国葬」に反対するグループのメンバーが「『国葬』強行反対」と書いたプラカードや横断幕を持って署名を集めていました。
署名したという74歳の男性は「安倍さんはいろんな疑惑があり、なぜ『国葬』なのか疑問がある。『国葬』は行われたがせめて自分の意思を示すために署名した」と話していました。

 

14:10ごろ 環境省など入る合同庁舎で黙とう呼びかけるアナウンス
東京 霞が関の環境省などが入る合同庁舎では「国葬」に合わせて午後2時10分ごろ「お亡くなりになられた元内閣総理大臣の安倍晋三氏に対して1分間の黙とうをささげたいと存じます」と館内のアナウンスが流れました。
職員は黙とうしたり、そのまま業務の打ち合わせを続けたりと、それぞれの対応をしていました。
 

14:13 松野官房長官 開式の辞を述べ「国葬」始まる 
午後2時13分、葬儀副委員長を務める松野官房長官が開式の辞を述べ、安倍元総理大臣の「国葬」が始まりました。

 

14:14 国歌演奏のあと1分間の黙とう 
午後2時14分、自衛隊の音楽隊によって国歌が演奏されました。
その後、1分間の黙とうが行われました。

 

 

東日本大震災で被災した人たちもテレビで見守り 
安倍元総理大臣の「国葬」を東日本大震災で被災した人たちもテレビで見守りました。
宮城県気仙沼市にある気仙沼漁業協同組合の元組合長、佐藤亮輔さん(81)は、震災から2年後の2013年、安倍元総理大臣が気仙沼市を訪れた際に漁業関連施設を案内しました。その時、自分たちの話に真摯(しんし)に耳を傾けてくれたという姿を覚えているといいます。
市によりますと、安倍元総理大臣は在任中、気仙沼市を4回訪れ、被災した現場や復興の状況を視察したということです。
佐藤さんは「国葬」の様子を自宅のテレビで見ながら黙とうをささげていました。
佐藤さんは「大変な時に気仙沼に来てくれたことで、私たちは励まされました。当時、多くの人が力を貸してくれたのも安倍さんの呼びかけがあったからだと思います。被災地のために大きな仕事をしてくれたことをありがたく思います」と話していました。

 

G7伊勢志摩サミットで交流した男性も見守る 
2016年に開かれたG7伊勢志摩サミットを盛り上げる活動を通じて交流した男性もパソコンで「国葬」の様子を見守りました。
三重県志摩市の賢島にある「伊勢志摩サミット記念館」の語り部で、当時、地元の自治会長だった山崎勝也さんは、サミットで訪れる人たちをもてなすため、沿道に花を植える活動などに取り組みました。
サミットの前の年、安倍元総理大臣が視察で訪れた際には「皆さんで力を合わせておもてなしを頑張ってください」と激励のことばをかけられたということです。
27日、山崎さんは「国葬」の進行に合わせて黙とうし、生前の姿をまとめた映像でサミットの様子が映し出されると感慨深そうに見ていました。
山崎さんは「サミットを志摩市で開いてくれたことへの感謝の気持ちは今もある。安らかに眠ってもらいたい」としたうえで「国がもっと国民に丁寧に説明して理解を得られていれば、みんなが厳かに送り出せたのではないか」と話していました。

 

14:18 安倍元首相の生前の姿をまとめた映像が上映 
午後2時18分から、安倍元総理大臣の生前の姿をまとめた映像が上映されました。
およそ8分間の映像は、政府が制作したもので、東日本大震災の被災地を訪問した時の様子や海外の要人と会談したときの様子などが映し出されました。


 

 

 

14:27 岸田首相による追悼の辞 
午後2時27分、葬儀委員長を務める岸田総理大臣が追悼の辞を述べました。
冒頭「あなたは、まだまだ長く生きていてもらわなければならない人だった。日本と世界の行く末を示す羅針盤として、この先も10年、いや20年、力を尽くしてくれると確信していた。残念でならず、痛恨の極みだ」と述べました。
そして、29年前・平成5年の衆議院選挙でともに初当選したことに触れ「安全保障、外交、さらには経済、社会保障に関しても、勉強と研さんにたゆみなかった姿をつぶさに見てきた。何よりも北朝鮮が日本国民を連れ去った拉致事件に強い憤りを持ち、なみなみならぬ正義感を持って関心を深めていた姿を知っている」と振り返りました。
また安倍政権で「自由で開かれたインド太平洋」の構想を生み出したことなどを外交の功績として紹介し「自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に、世界の誰よりも力を尽くした」と述べました。
そのうえで「私は外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友として、あなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとする」と述べました。
また「国内にあっては、若い人々を、とりわけ女性を励まし、子育ての負担を少しでも和らげることで、希望出生率をかなえようと努力された」と述べました。
そして「憲政史上最も長く政権にあったが、歴史はその長さよりも達成した事績によって記憶するだろう。あなたが敷いた土台の上に、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓う」と結び、安倍氏をしのびました。

 

14:42 細田衆院議長が追悼の辞
午後2時42分、細田衆議院議長が追悼の辞を述べました。

 

14:44 尾辻参院議長が追悼の辞
午後2時44分、尾辻参議院議長が追悼の辞を述べました。

 

14:47 戸倉最高裁長官が追悼の辞
午後2時47分、戸倉最高裁判所長官が追悼の辞を述べました。

 

14:48 菅前首相が追悼の辞 
午後2時48分、友人代表の菅前総理大臣が追悼の辞を述べました。
冒頭、菅氏は「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を召し上げてしまったのか。くやしくてならない。かなしみと怒りを交互に感じながら、きょうを迎えた」と述べました。
続いて、2度目の自民党総裁選挙への立候補を迷っていた安倍氏を説得した経緯を振り返り「最後には、2人で、銀座の焼き鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説いた。それが使命だと思ったからだ。3時間後には、ようやく首をたてに振ってくれた。私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろう」と述べました。
そして、第2次安倍政権での安倍氏の功績として、特定秘密保護法や安全保障関連法などの成立を挙げ「どのひとつを欠いても、わが国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念と決意に、とこしえの感謝をささげる」と述べました。
そのうえで「覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せだった。あなたはわが国・日本にとっての、真のリーダーだった」と述べ、故人をしのびました。
そして最後に、安倍氏が読みかけだった本に、明治時代に総理大臣を2度務めた山県有朋が、盟友の伊藤博文が亡くなった際に詠んだ歌に線が引かれていたことを明かし、その「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」という歌を2度繰り返して読み上げ、自身の今の思いと重ね合わせていました。

 

15:03 天皇皇后両陛下の使いによる拝礼
午後3時3分、天皇皇后両陛下の使いによる拝礼が行われました。

 

15:06 上皇ご夫妻の使いによる拝礼
午後3時6分、上皇ご夫妻の使いによる拝礼が行われました。
 

皇族方が供花 
秋篠宮ご夫妻をはじめ7人の皇族方による供花が行われました。

 

 

15:16 参列者による献花始まる 
午後3時16分、参列者による献花が始まりました。
はじめに、葬儀委員長を務める岸田総理大臣が花を手向けました。
そして、昭恵夫人ら遺族や細田衆議院議長、尾辻参議院議長、戸倉最高裁判所長官、友人代表の菅前総理大臣、海外からの参列者、各党の代表などが続きます。

 

一般向けの献花 終了予定時刻の午後4時以降も受け付け継続に 
日本武道館に程近い九段坂公園には一般向けの献花台が設けられています。多くの人が訪れていることから、当初の終了予定時刻の午後4時以降も受け付けが続けられることになりました。
また、一般向けの献花の行列は、一時は地下鉄の駅の構内にまで伸びていました。


午後3時前、東京メトロの半蔵門駅で撮影された画像では、改札の外にある通路に大勢の人が一列になって並んでいる様子が確認できます。
東京メトロによりますと、午後4時ごろまで構内に長い列ができましたが、現在は解消しているということです。

 

 

17:54 すべての参列者が献花終える
午後5時54分、すべての参列者が献花を終えました。
 

18:08 「国葬」終わる 
午後6時8分、安倍元総理大臣の遺骨は、昭恵夫人に抱えられて会場をあとにし「国葬」が終わりました。

 

18:18 遺骨をのせた車 武道館を出発
午後6時18分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が、「国葬」の会場となった日本武道館を出発しました。
 

18:29 岸田首相や昭恵夫人らが迎賓館に入る
午後6時29分、岸田総理大臣や安倍氏の妻の昭恵夫人らが、港区 元赤坂の迎賓館に入りました。
このあと岸田総理大臣らは「国葬」に参列した海外の要人の弔問を受けます。


18:33 遺骨をのせた車 自宅に戻る 
午後6時33分、安倍元総理大臣の遺骨をのせた車が、「国葬」の会場となった日本武道館から渋谷区の自宅に戻りました。

 

18:45ごろ 岸田首相や昭恵夫人ら海外参列者の弔問受ける 
岸田総理大臣は「弔問外交」を行っている港区 元赤坂の迎賓館に移動し、松野官房長官、林外務大臣とともに午後6時45分ごろから海外の参列者の弔問を受け謝意を伝えています。
また、昭恵さんも岸田総理大臣らとは別の部屋でお礼の気持ちを伝えているということです。

 

20:30ごろ 迎賓館での弔問終わる
岸田総理大臣は「弔問外交」を行っている迎賓館に移動し、松野官房長官、林外務大臣とともに午後6時45分ごろから海外の参列者の弔問を受け謝意を伝えました。
また、安倍氏の妻、昭恵さんも岸田総理大臣らとは別の部屋でお礼の気持ちを伝えたということです。
そして、午後8時30分すぎに終了しました。

 

参列者は4183人(速報値)
政府によりますと、安倍元総理大臣の「国葬」に参列した人は、速報値で4183人だということです。
また、献花に訪れた人は、午後6時現在の速報値で、およそ2万3000人だということです。

 

 

7月の選挙応援演説中に銃撃され、死去した安倍晋三元首相(享年67)の国葬が27日、東京・北の丸公園の日本武道館で行われ、菅義偉前首相(73)が述べた追悼の辞にSNSには感動の声が上がったそうです。

友人代表として壇上に立った菅氏は「あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつの間にか鳴りを潜め、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私はいまだに、許せないものを覚えます」と、安倍元首相亡き後も過ぎる日々にむなしさを口にしました。

若者の明るい未来を夢見た安倍元首相の遺影に向かい、「“日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲き誇れ”。これがあなたの口癖でした」と呼びかけるように話すと、昭恵夫人もハンカチで涙をぬぐって聞き入っていたといいます。

首相辞任後、自民党総裁選への再出馬を迷う安倍元首相に、菅氏は銀座の焼き鳥店で3時間かけて説得したエピソードを披露。その後、第2次安倍政権では官房長官として支えました。そんな盟友でもあった菅氏の言葉に、ツイッターには「それにしても菅さんの弔辞が染みた…」「菅さんしか分からない、安倍首相との話がふんだんにあって飾らない素直な言葉が胸に響きました!」「菅さん、恋文なんだよね。永遠の別れに送る恋文。涙止まらないよ」「菅元首相の友人代表挨拶聞いて涙がとまらない…安倍元首相の分まで菅さん長生きして欲しいな」と、称賛や激励の声が寄せられたそうです。

安倍元首相は2期の政権で、日本憲政史上最長の通算8年8カ月、首相を務めました。7月8日、奈良市内で参院選の応援演説中に背後から銃撃され、搬送先の病院で死亡が確認されたといいます。岸田文雄首相は国葬の実施を閣議決定しましたが、国会での審議を経ずに決定した過程などに国民の意見は分かれ、この日も東京・日比谷公園で抗議デモが行われたということです。

 

7月の選挙期間中に銃撃を受けて亡くなった安倍元首相の国葬が、日本武道館で行われました。第二次安倍内閣で官房長官を務めていた、友人代表・菅義偉前首相の弔辞の全文です。

◇◇◇

【友人代表弔辞】

七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。

あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

口惜しくてなりません。

哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。

―これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。

この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。

そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。

それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。

私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。

いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。

前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。

日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。

あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。

いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。

私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。

安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。

岡義武著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。

そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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