75回目の終戦の日にあたる2020年8月15日に東京・北の丸公園の日本武道館で行われた政府主催の全国戦没者追悼式で、天皇陛下が新型コロナウイルスの感染拡大に言及したそうです。天皇陛下は、専門家から新型コロナについて説明を受ける際に所感を述べ、その内容を宮内庁が発表したことはありましたが、公の場での発言は初めて。
「おことば」の内容は基本的には毎年同じ内容で、例年は3つの段落から構成されています。それが20年は4つの段落で構成。3番目の段落を新型コロナの問題にあて、「私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え」ることなどを呼びかけたそうです。特定の問題をめぐって、「おことば」の内容が大幅に変化するのはきわめて異例。
19年4月に退位した上皇さまは1989年以来、天皇として「おことば」を述べてきました。戦後70年の2015年から「深い反省とともに」という表現が、最後の臨席となった18年には「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」の一節が加わったそうです。天皇陛下が初めて隣席した19年の「おことば」では、この2つの表現を含む内容の大半を踏襲。上皇さまの平和への願いを受け継いだそうです。それが20年にはさらに大きく変化。文字数も19年の290文字から20年は392文字と、35%ほど増えました。
また、安倍晋三首相は15日、全国戦没者追悼式の式辞で、第2次政権発足以降は毎年盛り込んでいた「歴史と向き合う」という趣旨の内容を初めて削ったそうです。先の大戦を巡るアジア諸国への加害責任や反省には今年も触れず、政権の外交・安全保障の方針を表す「積極的平和主義」という言葉を新たに加えました。戦後75年の節目にあたり、過去を振り返るよりも、未来に目を向ける姿勢を一層、強く打ち出しているそうです。
首相は2015年の戦後70年談話で「子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と主張しています。追悼式の式辞では昨年まで7年続けて「歴史と謙虚に向き合い」「歴史の教訓を深く胸に刻み」などと述べていましたが、今回は歴史を顧みる表現そのものを削除。「加害と反省」については、8年連続で触れなかったそうです。
新型コロナウイルスの影響で、式典も大きく変化しました。19年は全47都道府県から遺族が参列しましたが、20年は20府県が参列を見送ったそうです。座席の間隔は大きく開けられ、遺族の参列者数も、19年の4989人から20年は300人未満と1割未満に減少しました。参列者はマスク着用が求められ、武道館へ入る際には検温も行われたそうです。国歌斉唱は行われず、演奏だけになりました。
式典には天皇皇后両陛下、安倍晋三首相、93歳から12歳までの遺族らが参列し、日中戦争と第2次世界大戦で犠牲になった約310万人を追悼したということです。
<天皇陛下の「おことば」全文は次のとおり>
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
下天皇、また「反省」という言葉を使ったんですね。その自虐史観どうにかなりませんか?
雅子さまはまたしても、黙祷の時目をパチパチしていたそうですね。
てか、今頃やっとCOVIDに言及ですか。。。
安倍ちゃんはグッジョブですね
参列者は例年の10分の1未満、参列した遺族は去年の1割未満だったそうです。
「西部警察」など数々のテレビドラマや映画で活躍した俳優の渡哲也(わたり・てつや、本名渡瀬道彦)さんが10日午後6時30分、肺炎のため東京都内の病院で死去したそうです。
78歳でした。兵庫県出身。俳優の故渡瀬恒彦さんは弟。葬儀は近親者で済ませたそうです。喪主は妻俊子さん。お別れの会なども本人の希望により行わないといいます。
大学在学中の1964年に浅丘ルリ子さんの相手役に応募したのをきっかけに日活入り。映画「あばれ騎士道」でデビュー、「東京流れ者」「紅の流れ星」に主演するなど、石原裕次郎さんや小林旭さんに続くアクション俳優に。主演した「無頼」シリーズがヒットし、スターの座を築きました。
71年、裕次郎さんを慕って石原プロモーションに入社。75年に主演した映画「仁義の墓場」は代表作の一つとなりました。76年に始まった刑事ドラマ「大都会」や79年からの「西部警察」シリーズに「石原軍団」のメンバーらと出演して人気を集めたそうです。「浮浪雲」などの話題作にも出演しました。
歌手として歌った「くちなしの花」は74年に大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場したということです。
渡哲也さんって、本当に正統派の正義の人という感じですよね。
「レディ・ジョーカー」が大好きでした。
哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。
弟・渡瀬恒彦さんの思い出を語ってくれた渡さん。頬に酸素吸引器のチューブの痕が見えます(2017年3月17日)