<新皇后・雅子さま伝説>
伝説というか雅子さまの(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズです。
ドス子の事件簿より転載。
- 1986年9月18日スペインのエレナ王女レセプションパーティで浩宮に会って帰宅、祖母江頭寿々子に「浩宮様っておえらいの? 」
- 1987年12月、追っかけマスコミカメラマンを指差し恫喝 して、「どこの社なの?名刺を出しなさい!」
- 1988年留学前の時、取材記者に向かって声を荒らげ「あんな家には行かない」
『噂の真相』1993年3月号
p.27より引用
実際小和田雅子はお妃になる意思のないことを自ら表明してもいる。オックスフォード大留学中の89年9月、日本から追いかけてきたマスコミ数社を前に即席の会見を開き、「わたくしはお妃問題には関係していません、ずっと外務省職員として生きていく」と語ったのはよく知られた話だが、実は、彼女はこの公になっているコメント以外にもっと強烈な台詞を発したこともあるという。
「一時たりとも活字になっていませんが、小和田さんは留学前の88年、ある新聞記者の執拗な取材に声を荒らげて『あんな家にはいかない』と答えてるんです。ちょうど報道陣に『名刺を見せなさい』と詰めよる など、取材攻勢に神経を尖らせていた時期ですから、ついホンネが出ちゃったんじゃないですか。当時、この発言は記者連中の間でもかなり話題になりましたね」(もと宮内庁詰記者)
- 英国オックスフォード大大学院への留学に際し、伝蓋友人らによる送別会で「最近母から気が緩んでいると注意されました。イギリスに行ってからは、フンドシを締め直して 勉強したいと思います。……でもイギリスにはフンドシは売っていないから、買っていかなくちゃー」
- 水俣病とチッソ 社長であった雅子母方祖父・江頭豊について、世論が触れると「おじいちゃんが悪く言われた ]」
- 結婚前、駅ホームで撮影したカメラマンを追いかけ胸座を掴んで「フィルムを出してください! 」
- 結婚前、カメラマンにマークされていることについて外務省の同僚に「マスコミってウジ虫みたい 」
- 外務省北米二課の同僚・上田奈生子さんに向かって「ネズミに似てる 」、上田さんが髪を切ってきたら今度は「うちのショコラ に似てる」
- 皇太子妃になることに積極的でなかったとされる小和田雅子が政府高官説得を受け「私は国家と結婚します」
ソース:2009年4月15日KTV「青山繁晴がズバリ!」 より
- 婚約会見で「一言付け加えさせていただきますと 」
- 婚約会見で「『雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうにおっしゃってくださいました 」
- 結婚当初の伊勢神宮参拝、皇太子と雅子は車から別々のドアから降り、歩き出して雅子が皇太子の脚を蹴とばしてしまい、笑いながら「あっ!ゴメン!」とタメ口で軽く謝る事件マコオタ書き込み
→当該マコオタ書き込み魚拓 - 1993年10月8日岩手県盛岡グランドホテルにて、前沢牛しゃぶしゃぶ3人前(メニューは前菜や刺身お造りにデザートなども揃ったフルコース)をきれいにたいらげた東宮夫妻「お気持ちはよくわかりました。ありがとうございました 」【大食い雅子さま 】
- 1993年10月15日初めて出席した園遊会にて、世界陸上選手権女子マラソンで優勝した浅利純子選手に対して「殿下と夕食をとりながらテレビを見てたのよ。」
ソース:『週刊新潮』1993年10月28日号<雅子さま初めての園遊会>モノクログラビア記事
- 皇太子殿下のご学友の豊永聡美氏がお二人の様子を語る。
「ご結婚前は花見やテニスや水泳など定期的に行事もあったんですが、ご結婚後はなくなり、御所にお呼びくださることも少なくなりました。お二人だけでいらっしゃる方が楽しいんでしょうね。
一昨年(=1994年)の秋に最後にお目に掛かった時、雑誌を何冊か殿下と雅子さまに持っていったんです。その中についうっかりして、『夫に先立たれたとき』という特集がまじっていたのですが、雅子さまはそれを殿下にお見せになって『ほらこれ』といって仲良さそうに笑っていらっしゃったのが印象的でした」
- 『週刊女性創刊50周年記念号別冊写真集・美智子さまと雅子さま』(主婦と生活社、2007/06)p.75より
'94年11月11日、ご夫妻はオマーンを出発。次の訪問国カタールの水族館では魚を指さし皇太子さまのほうを向いて、「あれ!あれ!」と雅子さまが喜ばれる場面も。 - 徳仁との登山で「ガスってるぅ~」
- 1995年天皇陛下が東宮夫妻に「国民もみな(世継誕生を)待っているよ」と話しかけられた途端、「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません 」
- 平成8年(1996年)歌会始・お題「苗」にて、「もろ手もちてひたすら花の苗植うる知恵おそき子らまなこかがやく 」<宮内庁公式情報>
- 東宮夫妻が静養でマスコミ取材陣同行登山、頂上の足場の悪いところで写真撮影に応じた際、カメラマンが雅子に「(皇太子さまで隠れてるので)もうちょっと前に立ってもらえませんか?」とお願いした際、雅子がボソッと「落ちたりしてw」とタメ口で徳仁に話しかけ笑う事件マコオタ書き込み
→当該マコオタ書き込み魚拓 - 1995-1997年あたりのことか、東宮夫妻が地方公務で地元有力者と食事会、後日東宮職がいる前で「ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません」
『週刊新潮』<2012年1月5・12日新年特大号<雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン>
p.27より引用
さきに本誌は、ご病状が「適応障害」には当たらず、他罰的感情 をその特徴とする「ディスチミア症候群」ではないかと報じた。事実、そうしたお振る舞いは長期療養に入られる2003年以前、さらに言えばご成婚直後から見受けられたという。さる東宮職OBによれば、
「ご懐妊の兆しが見える数年前、東宮ご夫妻が揃ってある地方都市を視察されたことがありました。土地の産業や地域の過疎化などについて、県や市の幹部と意見交換し、食事をともにされたのですが、後日、妃殿下は『ああいう集まりには、もう二度と出席したいとは思いません』と仰せになったのです」
このOBが当時、耳を疑ったのは言うまでもない。
「つまりは、現在のご自分とお暮らしとは直接に関係がないことだというようなご趣旨だったのですが、皇族のお立場というものについて、根本的にご理解が異なっているのではないか、という違和感を強く覚えたことを記憶しています」
- 33歳誕生日会見 にて、質問「宮内庁の古い伝統主義の中で雅子妃が活躍できないと、国内外メディアで様々に報じられていることについてどう思うか?」に対し、「それからまた私が鬱状態にあるんではないかというような書き方をしているところもあるようなんですけれども、今、脳内モルヒネ とかいうものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか鬱状態とかそういうことは全くありませんので、どうぞそういう心配はしていただかないようにというふうに思います(笑)」<宮内庁公式情報>
- 1998年秋に不妊検査を受けた雅子、「その結果が正常だと分かると安堵して、『検査の苦しさよりも私が子供を産める身体 だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました』とおっしゃったと聞いています」≪文藝春秋2004年7月号 雅子妃その悲劇の全真相(友納尚子 )≫
- 35歳誕生日会見 にて、「最近公務を離れて興味を持って取り組んでいることは何か?」との質問に、「今年の夏、クワガタ ムシの、昆虫の(ノコギリ)クワガタですけれども、クワガタがここの御所の窓の外のところで弱っているのを見つけまして(以下略)」<宮内庁公式情報>
- 1999年4月22日東京浅草仲見世見学、あげまんじゅう屋さんを覗くなどして、29年間日本の一般庶民をやっていた人間ではありえない常識外れ質問「(浅草寺は)いつもこんなに人が多いのですか?」
- 2000年10月27日富山県富山市の福祉施設セーナー苑を視察、「食事はおいしいですか? 」と大食い雅子さま がご質問。
参考ようつべ:20050110-皇太子ご夫妻の励まし - 2002年愛子誕生についての記者会見 で「生まれてきてありがとう 」「生まれたての子供」<宮内庁公式情報>
- 39歳誕生日会見 冒頭の質問「結婚10年目という節目を迎えてどうお感じになっているか?」との質問に、「はい。いま10年目 と言われまして,ああ10年目なんだなというふうにまず思いました。自分の中では9年という気持ちが強かったものですから,10年目と言われて,10年と申しますと,十年一昔とも申しますし,十年一日のごとしとも申しますけれども,確かに考えてみますと,年が明けますと,1月19日に皇室会議を開いていただいて,そして婚約ということになったのがもう10年も前になるんだなあということを思い出しますと大変深い感慨がございます」<宮内庁公式情報>
- 39歳誕生日会見にて、愛子の子育てに対して、「お陰さまで,とても今のところ身体が丈夫で,そしてまた,おおらかな性格といいますか,皇太子さまに似ましたのか,何ていうのかしら,ゆったりと,どっしりとしておりますので,その点健康に恵まれた子供を持っているということは,そうでない方 もたくさんいらっしゃるわけなので,本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っておりますし,また,こちらでは子供の世話を手伝ってくれる職員も配慮していただいて,手配していただいておりますので,公務などとのことで私自身が面倒を見ることができない時も,そういった職員がよく面倒をみてくれていることもとても有り難いことと思っております」<宮内庁公式情報>
- 39歳誕生日会見にて、北朝鮮拉致被害者について「明るみに出て」「また亡くなられてしまったと言われている方々もいらっしゃるわけで」<宮内庁公式情報>
- 39歳誕生日会見にて、スイスでの児童文学者会議について「(皇后陛下が)大変素晴らしい スピーチをなさいましたことを,本当にたくさんの方の心を打ったことと思いますし,本当に素晴らしい成果をお上げになって,素晴らしかったと存じます」<宮内庁公式情報>
- 39歳誕生日会見にて、「愛子内親王が“おおらかなご性格”というのはどういうことから感じたのか?」との質問に、「おおらかというか,明るいというのか,私驚きましたのは,赤ちゃんでも,本当に2か月,3か月でもユーモアのセンスというのがあるんだなというのがビックリしたことだったのですけれども。殿下が,今までもお話したことがございますけれども,本当にとても子育てを手伝ってくださって,本当に大きな力になってくださってますけれども,例えば,殿下が何かで,ちょっとガーゼを落としておしまいになった時に,私が「あっ」という顔してみますと,子供が「にやっ」とこう笑ったり,それが本当に2,3か月のころからそういうことがあって,こんなに小さな子供なんかにもユーモアの感覚というのがあるんだなと思いました」<宮内庁公式情報>
- 2002年12月5日NZ&豪州訪問前公式記者会見 にて、「ジョルダン のフセイン国王が亡くなられた折のご葬儀と,それからベルギーの皇太子殿下がご成婚なられた時には,そちらに伺わせていただくことができましたことも大変有り難かったと思っております」<宮内庁公式情報>
- 2002年12月5日NZ&豪州訪問前記者会見にて「外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は正直申しましてその状況に適応することになかなか大きな努力がいったということがございます 」<宮内庁公式情報>
- オーストラリアの病院視察公務で歩行器姿の少年に向かって、持参したエルメス写真ケース入りの手押し車愛子写真を示し「Like you! 」
- 橋本大二郎高知県知事(当時)と東宮夫妻が歓談、その折夫徳仁が「(愛子の鼻から目のあたりが)私に似ていると言われるんです」と嬉しそうに言ったのに対し、雅子が「私はそうは思わないんですけど」
h ttp://www.pref.kochi.jp/%7Ehisho/chiji/omoi-no50.htm
平成14年12月19日 NO.50 お二人のお誕生月に寄せて
・・前略・・
また、雅子さまは今回のお誕生日の会見で、愛子さまは性格的に皇太子さまに似たところがあると話されていましたが、話がお顔のことになりますと、皇太子さまは、「このあたりが」と鼻から目のあたりを指しながら、「私に似ていると言われるんです」と嬉しそうでした。
それに対して、僕の隣りに座られていた雅子さまが「私はそうは思わないんですけど」と漏らされたのを、僕は聞き逃しませんでした。
- 結婚10周年に際しての文書回答 にて「皇太子様のおみ足をお引っ張り 申し上げないよう」<宮内庁公式情報>
- ヘイリー コンサートを鑑賞、舞台裏で歓談し予定時間オーバー 、挙句の果てに「Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!」とひどく乱暴な雅子俺流英語【マサグリッシュ 】でサインおねだり
- お芋堀りで愛子ちゃんが大きな芋を掘り出したら「うわ!すっごぉーぃ! ]」
- 2006年2月紀子妃殿下第三子ご懐妊発表後に、何故か引きこもっているはずの雅子が国風盆栽展鑑賞に登場。盆栽鑑賞しているだけなのに派手な笑顔が目立つ夫妻。「花が沢山咲いていますね 実はなるのですか」という雅子の言葉も。
参考ようつべ:皇太子ご夫妻盆栽展ご鑑賞 http://www.youtube.com/watch?v=t6I8ykXavYQ - 聖路加病院押しかけ視察 で、子供の健康診断に来ている夫妻のご主人に対して「旦那さん の協力も必要ですね」
- 天皇陛下お誕生日祝いの夕食会にて、愛子おむずかり で東宮御所に帰還、陛下を2時間47分 も待たせ、心配して出迎えに現れた皇后陛下紀宮殿下らを尻目に「どうも」とだけの謝罪なし
- 正倉院展ドタ出 公務にて「これは中国の犬ですか ?」
- 長野県安曇野市「県立こども病院」訪問、入院してる子供に向かって「おやつ は何だったの?」
- 2007年8月那須静養 にて一家で那須どうぶつ王国行楽、パスタレストランでウェイトレスバイトしていた女の子に向かってタメ口で大学名を質問、「どこの学生なの~? 」
- 徳島県「藍住町歴史館・藍の館」で藍染(あいぞ)め体験、白いハンカチを染料入りの水槽に浸した後、水にさらす工程中、鮮やかに染め上がっていく様子に、「ほんとだ。なるほど ]」
- 17歳年長である寛仁親王殿下に向かって「お身体の調子はどうなの?」「その後トレーニングはなさっているの?」
『週刊ポスト』2008/1/18号<全国民必読「平成日本」と皇室:ヒゲの殿下寛仁親王「皇太子殿下への御手紙」「雅子妃のご病状」「皇族のあり方」から「8回目の手術で落ちた体力」まで熱論4時間!(聞き手・竹田恒泰)>記事 pp.48-49より引用
竹田 お2人が偶然お会いになって、どのようなお話をされたのでしょう。
殿下 雅子様も私が宮内庁病院に入院していることをご存知だから、すぐ車から飛びおりてきてくださり、「お身体の調子はどうなの?」と、いつもと変わらずにおっしゃいまして、それで私は「いや、もう歩くのが苦しくてたまりません」とお返事しました。そういうことが2回ありましたけど、私がお目にかかっている限り、どこもおかしいところをかんじませんね。
竹田 貴重なお話だと思います。それ以外にも妃殿下とお話しになる機械はございますか?
殿下 紀宮様のご結婚式のときも、雅子様はわざわざ私の隣にいらっしゃって、そのときも私は入退院を繰り返していたので「お身体はどうなの?」とおっしゃるから「いや、もういろんな難しい問題がございまして、私の身体はもうよれよれでございます」とか申し上げました。
先日も皇室会議の議員の選挙で皇族が宮殿薔薇の間に集まったときに、たまたま雅子様の横に私が座っていたので、雅子様のほうから「その後トレーニングはなさっているの?」とおっしゃいましたので、私は「もう参っていまして、相変わらずつんのめってしまいます」などといつものペースで話したわけです。すると雅子様もそのペースで話してくださるから、横で聞いていた娘の瑤子が「おとーまとは全く普通にお話しになるじゃないの」と言っていました。
- 長野県小布施町の美術館・北斎館で「駿州江尻」を見て「飛んでるぅ~」
- 「鳥のビオソフィア-山階コレクションへの誘い-」鑑賞で、ハッカンの剥製を見て「モノトーンすてき ]」
- 学習院初等科運動会にてハイネックセータ姿で一般席を陣取り、日差しが暑いと、女官に「ちょっと、扇子持ってる?」≪週刊新潮2008/10/23号≫
- 初等科運動会にてカメラで愛子徒競争スタートを撮ろうとしたが失敗、「ああ、ダメだわ」≪週刊新潮2008/10/23号≫
- 写真展「皇后さまと子どもたち」を一家三人で鑑賞、美智子さまと浩宮が腕相撲をする写真(昭和39年2月撮影)の前で、夫皇太子に向かい雅子がタメ口質問「いつごろの ]」
- 「宮内庁幹部によれば、雅子妃は、“公務に行けない理由を病気にしているのは宮内庁です。私は病気ではありません ”と、おっしゃられたこともある。その発言を聞いた人たちは、“そんなことをおっしゃること自体が病気ではないだろうか”と話していたそうですが……」by宮内庁関係者≪週刊新潮2008/5/1・8号 ≫
- 平成21年(2009年)11月25日、天皇陛下在位20周年・両陛下ご成婚50周年記念内祝を随分と遅ればせながら、改修済東宮御所お披露目も兼ねて開催。両陛下・秋篠宮ご一家(悠仁親王殿下を除く)等皇族・黒田清子さんご夫妻・旧皇族・親族ら、計46名出席。宴の半ばあたりで、皇太子夫妻が両陛下に感謝の言葉を述べるシーンがあり、その折雅子は、「私は殿下とともに、皇室に新しいぬくもりを投じてみたい 。そして、日本の伝統を意識しながら、愛子の人生生活を守りたいと思っています」≪女性セブン2009/12/24号≫
- 平成23年(2011年)4月6日、東日本大震災 避難所の一つである味の素スタジアムを東宮夫妻訪問。被災者である漁師さんの「漁師は陸に上がるとかっぱになっちまうんです(=船が無いと全く仕事にならない、無力な状態だ)」という言葉にご夫妻は大爆笑(原文ママ)。また「(通学問題 を抱える)愛子さまは大丈夫ですか」と女性が質問、その人に小学5年生の孫がいると知り、徳仁「愛子は4年生になります」、雅子「私も愛子も大丈夫です」≪週刊朝日2011/4/22号≫
参考キャプチャ連結画像:2011年4月6日 スーパーJチャンネル、津波で船を流された被災者漁師さんの「仕事がなくなると陸に上がったカッパ状態です」の言葉に、大笑いの表情を見せる雅子
1976年3月 小学校卒業でクラスメートに書いた寄せ書き、友達のことを「へんな顔」、自分のことを「いだいなワオ」と書く小六の雅子さん。