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今日のひと言 (星野仙一氏 )

元中日投手で、監督として中日、阪神、楽天で指揮を執った星野仙一楽天球団副会長が4日午前5時25分、膵臓がんのため死去しました。70歳でした。亡くなる直前まで野球への情熱を燃やし続けた「闘将」の名言がまとめてありましたのでご紹介します。


「星と島を書き間違いじゃないのか?」(明大4年で迎えたドラフトで、1位指名されると思っていた巨人が島野修を指名し)


「日本シリーズは邪魔。巨人に勝ったからもういいんだ」(74年に巨人の10連覇を阻止してリーグ優勝した祝勝会で)


「ウシ(牛島)は一番かわいがったやつだ。だからトレードは個人・星野仙一だけでは決断できなかった。監督として決めたんだ」(中日監督時代の86年12月、ロッテ・落合とのトレード要員となった牛島に対して)


「実感がない。そんなんで喜んでたら、野村(克也)さんに失礼」(98年5月22日ヤクルト戦で史上23人目の監督500勝達成)


「同じチームの権力の座に長く居座るのはいかがなものかと。組織としてよくないし、私の人生観や野球を考えると、いま身を引いた方が、選手の刺激になるんじゃないかと思って決意した」(01年9月、中日監督辞任会見で)


「ガキのころから阪神ファンだった。(私がプロ入りの時)阪神のスカウト部長が誰だったか知らないが、なぜ指名してくれなかったか残念だ。まあ田淵というスターがいたから仕方ない。ただ、いま指導者として夢をかじりかけの時、阪神から声がかかり、私は幸せな男だなと思う」(01年12月、阪神監督就任会見で)


「ここはオレの死に場所っていう気持ちや」(02年1月、阪神監督就任後初めて甲子園を訪れて)


「ああ、しんどかった」(03年、阪神監督としてリーグ優勝を決めたヒーローインタビューでの第一声)


「だいたい部下にナメられる上司は最悪でね。そんな人は上に立つ資質がないと思わないといかん。仕事は厳しいが、仕事を離れたらいい人だ、と言われるようにならなきゃ。日本人はその切り替えが下手なんだよ」(04年2月、スポーツ報知の特集でリーダー論を語る)


「金メダル? この(会見の)壇上にいる以上はね。(日本代表オフィシャルスポンサーの新日本石油)ENEOSさんも金メダル以外はいらないと、いうことでいいでしょう」(07年1月、日本代表監督就任会見)


「相当の批判を浴びるでしょう。ここにいる人に、申し訳ないと言わせる私が情けない。もっと、もっと、いい会見であれば…」(4位に終わった北京五輪から帰国後の会見で)


「杜(もり)の都を熱くさせてやろうという思いで仙台空港についた。自分自身を叱咤(しった)激励してきた。東北を熱くする。それが私の仕事だ」(10年10月、楽天監督就任会見)


「もう、最高です! 考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と言うので。彼がいたからこそ、日本シリーズに出れたのだから、最後はアイツがふさわしいだろう、と託した」(13年11月、日本シリーズで巨人を倒し、日本一になり)


「阪神と楽天が甲子園で日本シリーズをするのが私の夢です。もう2年ぐらいまでに」(17年12月の殿堂入りパーティーで) 















哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。



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