「シリアの状況はひどい。あまりのひどさに子供たちは夢を持たなくなってしまう。しかし、子供たちが夢を見ることで、いつかシリアをまた良い場所に変えてくれる」――。東京で学ぶシリア人学生、カッスーマー・ウバーダさんはこう話します。
「少しだけでも希望を与えて、そう、夢を持っていいんだと信じられるようにしてあげたい」
機会に恵まれただけでなく強い決心も合わさって、カッスーマーさんは現在、日本の漫画をアラビア語に翻訳しています。
運命の不思議はこれだけではありません。カッスーマーさんが翻訳した人気サッカー漫画「キャプテン翼」シリーズの多くが支援団体に寄付され、欧州や中東にいるシリア難民の子供たちに手渡されているのです。
偶然始めた翻訳の仕事だったものが、カッスーマーさんにとって非常に自分自身に意義深く、重要な活動になっています。
シリアの首都ダマスカスで日本語を学んでいたカッスーマーさんは、交換留学生として日本で学ぶ奨学金を得ました。2012年のことです。シリアでは内戦が既に始まっていたそうです。
状況が悪化の一途をたどるなか、カッスーマーさんはシリアの街中で警察に呼び止められることもよくあった。カッスーマーさんのような若者は、反政府勢力の戦闘員と疑われてしまうためです。
状況が危険過ぎると考えたカッスーマーさんの両親は、彼が東京に留学するまで、レバノンに住むおばの家に避難させることにしました。
手遅れになる寸前だった。カッスーマーさんは個人的なつてをたどってようやく国境を越えることができたそうです。
奨学金が終了した1年後、カッスーマーさんは通常の学生として編入が許され日本で滞在し続けることが可能になった。カッスーマーさんはアルバイトで「キャプテン翼」のアラビア語への翻訳をするようになった。
「私自身、子供のころにテレビで『キャプテン翼』を見るのがとても楽しみだった」と、現在26歳のカッスーマーさんは話す。
「プロのサッカー選手を夢見る少年が、一所懸命努力して夢を実現する話です。すごく美しいことだ。(シリア難民の)子供たちにも見てもらいたい」
日本の出版社にとって当初、アラビア語の市場開拓は単なるビジネス上の判断だった。
しかし、同志社大学の中東専門家、内藤正典教授から連絡を受けたことで、状況が変化した。博士課程で学んでいた1980年代にダマスカスに数年暮らした経験がある内藤教授は、内戦の影響を受けた人々を何とか支援できないか考えていた。
内藤教授はコミックスの一部を難民の子供たちに寄付してはどうかと提案した。
内藤教授は、「シリアの悲劇は自分にとって深刻な心配事です。今は反政府勢力の支配地域にあるいくつもの村で、研究をしていたんです」と語る。
版権を持つ集英社はすぐに寄付を承諾してくれたと内藤教授は話す。
国連児童基金(ユニセフ)や多くの国際機関の協力もあり、欧州やトルコ、中東のシリア難民キャンプに母国の内戦による恐怖と悲惨な体験を逃れてやってきた幼い子供たちに漫画は配られている。
「子供たちの現実とはかけ離れた内容だ」と内藤教授は語る。「しかし、時には現実逃避できるのも、とても大切です。それに、漫画が彼ら自身の未来に多少の希望を与えることもできる」。
内藤教授は、漫画が「絶望と過激思想に対抗するための、ソフトパワーの道具になる」ことさえあると話す。
ドイツ・ベルリンにある難民受け入れ施設施設では、つい1週間前、ドイツとトルコに拠点を置くNGO(非政府団体)のWEFAが約60人に「キャプテン翼」を配ったばかりで、子供たちに束の間の現実逃避の機会を提供した。
BBCが取材したWEFAの関係者イズメットさんは、「いままでとは非常に違った経験で、(子供たちから)いつもとは全く違う反応があった」と漫画が配られた時のことを振り返る。
イズメットさんは、「当然ながら子供たちが通常もらうのは衣服や食べ物なので、我々が唐突に日本の漫画を持ってきた時にはすごく驚いていました。それも彼ら自身の言語で書かれた本を」と笑いながら話した。「彼らの目がそれをよく物語っていましたよ!」。
ベルリンのWEFAは今後も漫画を配る予定だ。
一方、東京ではカッスーマーさんが「キャプテン翼」の続きの翻訳に汗を流す。今は全37巻のうち7冊目を翻訳している。
カッスーマーさんとって、シリアへの帰国は選択肢にない。
今は日本に残って学位を取得するのが目標だ。シリアがいつか自分の能力を必要とする時が来ると、カッスーマーさんは確信している。日本とシリアの関係強化に取り組むことで、より大きな貢献ができるのを期待している。
「私の友人には政府と戦っている人もいれば、反政府勢力と戦っている人もいる」。カッスーマーさんは表情を曇らせる。
「我々は一つの家族なのに、今はお互いの死を望んでいる。お互いを殺そうとしている」
それでも、カッスーマーさんは自分の翻訳した漫画によって、世界のどこかで、過去の恐怖体験を忘れたいシリアの子供たちが笑顔になれればと考えている。
「シリア人の私には、支援する義務がある。この活動を通じて助けることができる。子供たちは(漫画で)わずかな時間でも、戦争体験のひどい記憶を一切忘れることができる」
頑張って欲しいですね!