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今日のひと言 (渡哲也&渡瀬恒彦さん)

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今月14日午後11時18分に多臓器不全のため都内の病院で亡くなった俳優の渡瀬恒彦さん(享年72)の兄で俳優の渡哲也(75)が16日、所属事務所の石原プロモーションを通じてコメントを発表しました。


直筆で渡は「当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません」とつらい胸中を明かし「幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです」としのんだそうです。


2人は、2011年12月に放送されたTBSドラマ『帰郷』で40年ぶりの兄弟共演を果たし、その2年後に『西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ50作記念作品「消えたタンカー」』に渡がゲスト出演し、2年ぶりに共演していました。



<以下、渡哲也コメント全文 >


当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません。

 


幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや、同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです。

 


2017.3.16 渡哲也



渡瀬さんは1970年に石井輝男監督『殺し屋人別帳』でデビュー。

ドラマ『十津川警部』シリーズ『おみやさん』『警視庁捜査一課9係』をはじめ、映画『仁義なき戦い』シリーズなど多くのドラマや映画で活躍しました。

プライベートでは、73年に女優の故・大原麗子さんと結婚しましたが78年に離婚し翌79年に、い保さんと再婚。2015年から胆のうがんで闘病中でした。


16日に渡瀬さんの所属事務所は「3月からの撮影に向けて準備を進めてまいりましたが、2月中旬ごろ左肺に気胸を発症し入院加療してまいりました。3月に入り、敗血症を併発し多臓器不全により、3月14日23時18分に都内の病院にて息をひきとりました」と報告。


「渡瀬恒彦のファンの方々、撮影をご一緒させていただいたキャスト・スタッフの皆様から並々ならぬご声援をいただき、最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントしていたということです。




空手道2段で「芸能界で最もケンカが強い男」と俳優仲間からも一目置かれていた渡瀬恒彦さんえですが、兄の渡哲也にだけは弟の顔をのぞかせていました。

2011年に放送されたTBSドラマ「帰郷」で40年ぶりの兄弟共演を果たしましたが、会見で見せた丁々発止は強烈に兄弟仲の良さを印象づけました。先に逝った弟、渡の胸中は察するに余りあります。


渡瀬さんの“強さ”は伝説化していたそうです。「生意気盛りの俳優を撮影所の駐車場に呼び出してボコボコにした」「米兵3人を1人で撃退」などなどエピソードは枚挙にいとまがありません。


そんな最強男がリスペクトし、そして甘えられる存在が兄の渡でした。

兵庫県淡路島から上京し、学生時代は新宿で共同で下宿生活を送ったそうです。

兄は青山学院大学、弟は早稲田大学で空手部に籍を置き、心身を鍛えました。渡は木製のハンガーを手斧で割ったそうですが、弟の渡瀬さんの方が腕は上だったそうです。


渡はその後、日活に入社しましたが、実は勝手に書類を出して、俳優になるように仕向けたのは弟の渡瀬さんでした。

やがて弟も役者の道に進みます。そして共演こそ多くはなかったそうですが、互いに一目置くスター俳優に成長。

1995年に阪神淡路大震災が起こると、渡瀬さんも兄が率いる「石原軍団」に合流して、故郷の淡路島や芦屋市に駆け付けて炊き出しを実施。カレーや焼きそばを振る舞って被災者を勇気づけたそうです。


その後も日本酒のCMで共演するなどして仲の良さを印象づけました。

11年には71年のNHK「あまくちからくち」で双子を演じて以来、40年ぶりに「帰郷」で共演。

医師兄弟の22年にも及ぶ愛憎劇でしたが、千葉県市川市行徳で行われた制作発表会見は今でも語り草だそうです。


互いの印象を聞かれた渡は「身内なので非常に申し上げにくいのですが、弟は私をはるかに超えた俳優になったなと。野球のピッチャーに例えるのなら、私はボール気味のストレートしか投げられないのですが、弟の場合はフォークとかスライダーも投げられるうまい役者になった」と絶賛。


これには渡瀬さんも照れくさそうな表情を浮かべながらうれしくてたまらない様子。「(兄は)相変わらず直球しか投げられない人だなと感じました」と憎まれ口を叩きつつも「でも、僕は直球のスピードが出ないので、なんとかかわしながらでも…とセコいことを考えながらやっているだけなんです」と兄の真っすぐなところを称えたそうです。


本気でぶつかりあった兄弟げんかのシーンは迫力満点。これが最後の兄弟共演となってしまうとは渡も思わなかったかもしれないということです。












哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。









1972年、大原麗子さんと結婚した渡瀬恒彦さん。



























































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