東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らおよそ900人が出席し、地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。
この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。
また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。
この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。
宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。
福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。
この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼んだということです。
ベトナムまでお出かけになれる天皇皇后両陛下は国内の犠牲者を悼む式典には出席されません。
東京大空襲法要も、東日本大震災追悼式も、本来であれば皇太子夫妻が参列するべき公務のはずですが、秋篠宮両殿下にお任せ。
まあ、皇太子夫妻には無理でしょうけど。
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阪神大震災が発生したのにもかかわらず、中東へ出かけた皇太子夫妻。
ラクダレースに馬鹿笑いする雅子さん。
そのうえ、「お国が災害で大変な時ですからお帰りになったほうが・・・」と心配し助言して下さったヨルダン王妃に不貞腐れてムクレ顔の雅子さん。
感想を聞かれ、 「死海がみれなくて残念でした」と語った皇太子。
また、東日本大震災の津波の映像を「おーおー」と声を出し、「もう一度見せてください」とおかわりした雅子さん。

東京大空襲から72年の10日、慰霊の法要が行われ、秋篠宮ご夫妻も出席されました。
秋篠宮ご夫妻は、10日午前10時前、東京・墨田区の東京都慰霊堂に到着し、堂内に着席されたそうです。
この法要は、東京大空襲と関東大震災で亡くなった人を悼み、毎年、春と秋に行われていて、皇族方も出席されています。
法要では、読経などが行われたあと、秋篠宮さまが位牌の前に進み、焼香をされ、続いて、紀子さまが焼香されました。
また、法要には、小池 百合子都知事も出席し、追悼の辞で、「誰もが安心して暮らせるよう、万全の防災対策に努めたい」などと述べたということです。

