3月8日は国際女性デー。衆院議員の野田聖子さんは「やらないで後悔すると一生残る。自分の心に素直に動こう」と語ります。
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40歳前までは「男」でした。
1993年に初当選したとき、自民党の女性衆院議員は私1人だけ。目立つ存在以前というか、希少生物といった扱いでした。
職場のスタンダードが「男」なので、女性のロールモデルは誰もいない。若い女性が政治家になるもんじゃないという有権者も多くて、応援してくれる人ほど、私に「女を捨てろ」と言ってきました。結婚もするな、子供も産むな。そのくらい犠牲を払わないと男性と同格に見てもらえない。ある意味、悲壮感が漂っていました。
それが変わったのは、時代の変化かなあ。
郵政大臣の職を終えたころ、支援者から「女性の支持を受けなければいけない」と助言されたというのも後押しになりました。
「女性の有権者は主婦が多い。自分は夫に悩まされ、子育てに疲れているというのに、野田聖子は独身生活を謳歌し、男どもと楽しく仕事をしている、と思われる。だから子供を産んだ方がいいよ」って。
そう言われて、私も結婚して子供を産んでいいんだという解放感がありました。自分が封印してきた、結婚して、相手の子供を産むという人生を追求できるんだと。そういうのを押し殺したまま、政治家のキャリアを積み上げてきた自分から解放された感覚がありました。
親になって? 最高です。私の骨格を作ってくれたのが今の夫なら、血や肉を作ってくれたのは子ども。本当にそう思います。
50歳で長男を産んでから、自分の政治のスタンスに温かみが生まれた。誰のために政治があるのかなと思うと、困っている人が生きやすくなるためだ、という原点。
国会議員って、強い人の集まりなんです。生活もそんな困っていない。権力があって、口も立って、80歳近くでも元気でしょ。国会議員とだけ付き合っていたら、基本的に強い人ばかりの世界しか分からない。
でも、私の息子は弱っちいわけですよ。心臓などに複数の先天性の病気があって、2歳3カ月まで入院生活を送ったんです。国会議員の息子でも、弱っちいから社会の壁は厚いわけです。私が子どものころに当たり前にできたことが、彼はできないんです。毎日家に帰ると、その息子がいるわけです。「強い人目線で世の中見るな」って説教されているようなものです。
望んでそうなったわけではないけれど、目の前に息子みたいな「できない人がいる」ということに触れていると、息子と同じ立場の人が増えてきているなと実感できます。がんサバイバーのように病気と共に生きる人たち、女性、高齢者、LGBT、貧困状態の人たち。
今ある法律は、日本に元気で若い人がたくさんいて、経済も上向きで「強い国」を目指していたころにできたものが多い。でも今は、そういう時代に作られた法の枠外に置かれてしまっている人たちが、逆に多数派になっているんじゃないかなと思うんです。
我が家は私が議員として働き、夫が子育てを専業でやっています。夫は私の仕事がおつきあいが多いと分かって結婚してくれた。だから我が家は子どもを女性だけで育てるという概念がありません。
ですが、多くの男性はそう思っていない。女性に言いたいのは、自分のキャリアを突き進みたいのなら、それを受け止めてくれるパートナーを選べばいい。自分と同じか高いキャリアの人と一緒になると、自分だけが割を食いやすい。
私のキャリアを振り返ると、いろいろありました。自民党が野党だった時、首相指名で村山富市さんを担いだけど、わたしは「なぜ?」と。自分や他人にうそをつきたくないから「海部俊樹」と書いて造反した。同じ1期で「村山」と書いた議員は大臣になり、造反した私は、次の選挙の時に応援の国会議員を派遣してもらえなかった。
でも、選挙は有権者が決める。勝たせてもらったら郵政政務次官になって、その後、郵政大臣に就いた。転んだようでも見ている人は見ている。
小泉内閣が進めた郵政民営化にも反対して公認がもらえず、冷や飯を食ったけれど、その選挙期間中に微動だにしない関係の仲間ができて、その結果、当選できました。こういうの、自分で波をつくって獲得しているわけじゃないんです。舟が来るの。
こうやって生きてきて思うのは、自分の心に素直に、ということです。やろうと思いつつやらなかった後悔は一生、残るんです。私、米国の大学に行かなかったことを今も後悔しています。高校の途中から米国に行って、米国の大学に進む予定でした。でも、家庭の事情で戻ってしまったことをいまも思い出します。
自分で決めて、そのときしくじったと思っても、そこを耐えれば一皮むける。後で自分にプラスになりますから。
はっきり言って、この人に共感はできないです